善と悪について
キリスト教の世界では、善と悪が白と黒に別れ、その思考が文化や生活に深く刻まれていて、時々、真っ黒な悪に出会うと混乱して心理的な負担が生じます。
嫉妬や利己的な感情を強く持つ悪は良い人々たちが安心して楽しく暮らしている状況にまるで良い人のようにそっと忍び寄り、お互いの間で不信感をつのらせるような言葉をささやき、恐怖を与え続け、内部から崩壊していくように様々な工作をとります。
じっと観察していると、まるで世界の定規であるかのように自分たちが世界で一番正しく、利口だと皆が思うような価値観を作り出し、良い人々に頭の悪い人々とのイメージを植え付け、悪がより利益を搾取できるように社会システムを作り変えてきました。
ラテンアメリカにおいて違う共同体の間で不信感がとても大きいのは、スペインに征服された歴史的背景をはじめ、騙したり不正を平気で犯す人々が友人や家族の間でもいる可能性があるからです。
良い人々は、悪が増大して金と権力を持ったしまった悪い人々にマイナスなイメージを持つような名前をつけられ、じっと我慢して今まで世界における大切な善を共同体の中でひたすら守ってきました。
今はインターネットのおかげで、わかりやすい悪は彼ら自身が生み出した恐怖によって消滅し、善の人々が繋がりやすくなって、彼らの価値観が目に見えるようになってきて嬉しい限りです。
周りの人々に感謝できない、謝罪できない、他人の幸福を喜べない人、または意図的に人を陥れるために、善の人々がこの3つの行動ができないように仕組むような人々がいたらそっと離れるようにしています。
写真はValley of Fire State Parkの日の入り。©️Miho Hagino 2017