「星のや 軽井沢」
「母なる海」という人は言う。しかし森もまた、ひとつの小宇宙。海が母性の象徴だとすれば、森もまた生命を育み、生命が還る場所。緑の息吹に包まれ、無心に森の中を歩くのは楽しい。でも、川のせせらぎと雨音を聞きながら、深い森に包まれて眠りにつく以上の幸せはない。心も身体も浄化され、まるで新しい自分に生まれ変われたかのように思えてくる。
先日、「星のや 軽井沢」で過ごした一夜の記憶があまりに強烈過ぎて、まだ消化できないでいる。東京で過ごす日々は享楽的で楽しいけれど、空虚でもある。それを認めたくなくて、全力疾走しているうちはいい。でも、一度あの時間を経験すると、もう元には戻れない。
下世話な話をすれば、「星のや」は確かに高い。でも、ここに流れる時間に値段をつけるなんて無意味だと思う。ラグジュアリーとか、スタイリッシュといったカタカナ語は(悪いけど)似合わない。上質とか洗練という言葉で片付けるのは簡単だが、深い森の中に静かにたたずむ桃源郷のようなあの空間を語る言葉をまだ見つけられないでいる。言葉にしてしまうと、陳腐になりそうで怖いのだ。
語りたいことは山ほどあるが、一番「星のや」らしいと思った朝食からまず書いてみる。「山の朝食」と名付けられたこの一膳は、限りなくシンプルだ。芋茎に牛蒡に豆腐に車麩と、素材も見た目も「旅館の朝食」にしては地味である。でも、いざ口に運べば、一皿一皿にていねいな仕事がされていることがよくわかる。お出汁も食感もそれぞれ違い、かみしめるごとに滋味滋味と身体に沁み渡る旨さ。窓の外に広がるみずみずしい棚田を眺めながら、山の恵みに感謝する。
なにより感動的だったのが、お漬物とお味噌汁のおいしさだ。料理が豪華なお店や旅館は多々あるが、こういう小さなところにも全く妥協していないところが、「星のや」らしいと思う。食器やしつらえへのこだわりもすごいが、そのこだわりを感じさせないところがもっとすごい。さりげなさの中に、確かに感じられる美意識こそ、星のやの真骨頂かもしれない。
22時間の短い滞在だったけど(しかも半分は仕事してたけど)、あの記憶だけで私はしばらく生きていけそうだ。目をつぶって、深く呼吸すれば、そこはきっと軽井沢。