ラオス~メコンの流れにたゆたう時間⑥
ラオスではどこへ行っても鮮やかなオレンジ色の袈裟をきた僧侶たちを目にする。ラオスにストリートチルドレンや物乞いがいないのは、お寺が貧しい子どもたちの受け皿になっているからだ。
まだ日の上がる前の早朝から家々を回る托鉢は、ラオスの風物詩で、中でもお寺の数が多いルアンパバンが有名だが、今朝出かけてみてあまりの変わりように衝撃を受けた。
メインストリートに一分のすきなく並べられたビニールシートとプラスチックの椅子。煌々とライトが連なる下にずらりと並ぶのは、すべて欧米や中国の観光客だ。
僧侶たちは黙々ともち米を受け取るが、合間合間においてあるプラスチックのごみ箱にもち米を捨てている。禁止のはずのフラッシュを焚いて記念写真に興じる観光客たち。ローカルはもち米を、観光客に売るために道にいる。なんなんだこれは!
托鉢はディズニーランドのパレードじゃない。今や、ただのアトラクションに成り下がってしまったのかと悲しくて悲しくて涙が止まらず、泣きながら宿まで帰った。
初日に見た川向うの托鉢はまだ、昔ながらの托鉢だった。ひたひたと裸足で歩く僧侶の足音、家々の前で歌のように響くカント。敬虔な村人の祈り。
でも帰り道、角を曲がったところには貧しい人たちがビニール袋をもって座っていた。僧侶からあまったもち米を受け取るのだ。なるほど、喜捨という本来の意味はまっとうしているのだから、通りすがりの観光客の感傷など何の意味もないのだろうけど。