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星田妙見宮と天川命神社で開いたゲート

丹生川上神社に参拝してから家に黒龍さんが現れて云った。
「吾は只者に仕える者ではない。」と。はあ、さようですか。で、なぜここに?
つづけて「この地域の門を、白黒立って守る」とのたまう。その時は何のことやらさっぱりだったが、いろいろと明らかになってきた。


「只者」でない神とは、クニづくりの神?

黒龍さんが現れたというので、8月に竹生島の黒龍大明神さまに参拝し、帰り道のお土産が「白麒麟雲」だった。丹生川上神社の三つの龍玉を神社参拝の折に水浴するということを続けていたが、11月に天川命神社に紅水晶と翡翠の玉を図らずも奉納することとなり、黒瑪瑙の霊玉のみが今も手元に残る。

天川命神社のイチョウと共に

あるムラづくり人の経験を令和7年1月になって耳にした。
その人が参拝すべき神社がわかるという霊能者に言われて竹生島の黒龍大明神に参拝した次の朝の夢で、黒龍が自分に向かってきたので目を覚ました。その後とある場所でとんとん拍子にムラづくりのための土地が決まり、ムラ開きの祭りを行った。ムラの氏神様へ行くと、龍神のような列石を発見したが、どう見ても頭がない。転がっていた”頭”をもとの位置に起き、木の棒で龍神の角に見立てるイタズラをした。
ところが、このイタズラがムラの土地の龍神を目覚めさせた。
数年が過ぎると、龍神は内陸へ移住したいた言った。伊勢から御嶽山へつながる龍脈上の内陸部へとこの黒龍は移動するというので、奥の宮として鎮座するご神事が行われる。

あるムラづくり人のお話

「只者でない神」が誰なのか、この話を聞いてすぐに理解した。彼らムラづくり人は、古い日本でクニづくりをして回った神々なのではないかと思う。

私の手元に残っている黒瑪瑙は闇龗(くらおかみ)の霊玉であり、その一つの現れは黒龍だ。しかも、シグマ星出身の由緒正しき黒龍だ。シグマ星とはここ16000年の文明を始めた人々の出身星である。

その黒龍さんが家に現れた理由は、もしかしたら”ムラづくり人”らが行う奥宮のご神事のあと明らかになるのかもしれない。

天川命神社と対の星田妙見宮

令和7年1月5日、有名な星田妙見宮に参拝することになった。

主祭神 天之御中主大神、高皇産霊大神、神皇産霊大神
創建  弘仁年間(810年ー823年)
所在地 大阪府交野市星田9丁目60−1
備考  生駒山系に残る数少ない磐座信仰の霊場のひとつ。空海が交野に来て獅子窟寺吉祥院の獅子の窟に入り秘法を唱えたところ、天上より七曜の星(北斗七星)が降り交野の3ヶ所に分かれて落ちた。このうちの一つが当地であるとされる。

星田妙見宮の天の川伝説

当社は空海と深い関係があり、残される降星伝説にがっつりと関わっている。空海の秘儀により落ちてきたのは当社の登龍の滝つぼで、ペルセウス座流星群の母彗星スイフト・タットル彗星からの隕石だっとという。ペルセウスが北斗七星の方角ということで、七曜の神々が祀られている。

登龍の瀧は枯れていた
七星占の神々

ペルセウス座流星群は夏の大三角で天の川と重なる。この場所は、琵琶湖を挟んで「きね(東北)」の方向にある天川命神社と対になっているのか、と感じた。

参道の階段を上っていくと石柱に奉納者の名が刻んで階段にならびます。そこにはなんと、今は亡き父の名が!全国に1万人強しかいない姓なのに同性同名か!?それとも父と何らかのご縁があり、はるばるやってきて奉納したのだろうか。

幾何学模様をみる帰り道

そんなことがあり、星田妙見宮に親近感を抱きながら帰途に就いた。空海というキーワードも昨年末から頻繁にやってくる。空海が張った結界が1200年の時を経て解除される2025年は今年、令和7年である。

帰り道に助手席でついうとうとしていると、暮れなずむ灰色の空に忽然と、しかも一瞬、幾何学模様が現れて消えた。フラワーオブライフとか五芒星や六芒星という単純な模様ではなく、繊細で複雑な円形の幾何学で、自分で描くこともできない。他で見たこともない。

これは、もしかしたら二つの幾何学模様が重なった図なのかもしれない。互いの図がガチャンと合致するカギになっているとか。
「ゲート」という言葉が降りてきた。

ゲートかあ。
あの、すこし威張った黒龍は言っていたな。「門を、白黒(龍が)立ち守る」と。ゲート繋がりで思い出した。天川命神社に霊玉を奉納し、今回星田妙見宮へお参りして、何かへの出入り口が開いたようだ。

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