「かみさま」
ネガティブな事を言います。
私は「create(創造する、創作する)」という述語が気軽に使われている現状が嫌いです。
(無論、「creator」「creative」も同様です。)
「create」は(もともと、宇宙規模の創造を意味するスケールを持っているため、)神の述語であり、人間の述語としては妥当ではない、と私は思っています。(トマス・アクィナスも言ってたもん。)
現在、インターネットやSNSの普及により、誰もが自分の表現を発信できます。
そして、多くの人間が「create」していると宣っています。「create」することによって、まるで神であるかのように振る舞う、薄っぺらい「かみさま」が掃いて捨てるほどいるのです。
「create」は人間の述語になり下がり、
「かみさま」はつけ上がっています。
まるで天秤のようですね。
あ、想像しちゃダメですよ。
「create」と「かみさま」の位置関係が、それぞれの「重み」をそのまま表しちゃってるので。
悪口はこのへんにしておきます。ごめんなさい。
ですがやはり、人間が「create」して神になるなんて、空虚な幻想であり、病的な憧憬に過ぎません。
西洋の近代は革命の時代でした。科学技術が発達し、神性を後ろ盾に権威を振るっていた王政を打ち倒し、人間は理性と自由の精神を獲得しました。それに伴い、「天才」や「独創」などの概念が生まれ、(能力がある)一般の個々人を神格化する向きが出てきます。
そのような風潮は日本にも輸入され、現代ではより増幅した形で大衆を支配しているように思います。
私がこの瞬間も利用している「note」は、私を「クリエイター」と呼びます。「創作」が継続できていてすごい、と褒めてきます。なんか嫌です(言語化がんばれ)。
ですがそれも、西洋の近代的価値観が、この日本において、いまだに優位であることを示しているのでしょう。
しかし、私は「近代の西洋」ではなく「現代の日本」に生きています。
「神は死んだ」と言われて久しいですが、
今は石を投げれば「かみさま」に当たる時代です。
(ただの逆張りかもしれませんが、)そんな中、あえて人間であり続けるのも良いのではないでしょうか。