青空文庫で読む「ステレオ」の世界 #日本ステレオ伝 001

“ステレオ”=“双眼、立体写真、立体映像…” 2016/5/2更新

病牀六尺

正岡子規 1902年
二十六(六月七日)“写真双眼鏡、これは前日活動写真が見たいなどといふた処から気をきかして古洲が贈つてくれたのである。小金井の桜、隅田の月夜、田子(たご)の浦(うら)の浪、百花園の萩、何でも奥深く立体的に見えるので、ほかの人は子供だましだといふかも知れぬが、自分にはこれを覗(のぞ)くのが嬉しくて嬉しくて堪らんのである。”
四十(六月二十一日)”あるいは双眼写真を弄もてあそんで日を暮らしたこともある。それも毎日見ては段々に面白味が減じて、後には頭の痛む時などかへつて頭を痛める料しろになる。”
四十八(六月二十九日)”この頃売り出した双眼写真といふのがある。これは眼鏡が二つあつてその二つの眼鏡を両眼にあてて見るやうになつて居る。眼鏡の向ふには写真を挿はさむやうになつて居つて、その写真は同じやうなのが二枚並べて貼つてある。これはちよつと見ると同じ写真のやうであるがその実少し違ふて居る。一つの写真は右の眼で見たやうに写し、他の写真は同じ位置に居つて同じ場所を左の眼で見たやうに写してあるのである。それを眼鏡にかけて見ると、二つの写真が一つに見えて、しかもすべての物が平面的でなく、立体的に見える。そこに森の中の小径こみちがあればその小径が実物の如く、奥深く歩いてゆかれさうに見える。そこに石があればその石が一々に丸く見える。器械は簡単であるがちよつと興味のあるもので、大人でも子供でもこれを見出すと、そこにあるだけの写真を見てしまはねばやめぬといふやうな事になる。遊び道具としては、まことに面白いものであると思ふ。しかしこの写真を見るのに、二つの写真が一つに見えて、平面の景色が立体に見えるのには、少し伎倆ぎりょうを要する。人によるとすぐにその見やうを覚さとる人もあるし、人によると幾度見ても立体的に見得ぬ人がある。この双眼写真を得てから、それを見舞に来る人ごとに見せて試みたが、眼力の確かな人には早く見えて、眼力の弱い人即ち近眼の人には、よほど見えにくいといふことがわかつた。これによつて余は悟さとる所があつたが、近眼の人はどうかすると物のさとりのわるいことがある、いはば常識に欠けて居るといふやうなことがある。その原因を何であるとも気がつかずに居たが、それは近眼であるためであつた。近眼の人は遠方が見えぬこと、すべての物が明瞭に見えぬこと、これだけでも普通の健全なる眼を持つて居る人に比すると既に半分の知識を失ふて居る。まして近眼者は物を見ることを五月蠅うるさがるやうな傾向が生じて来ては、どうしても知識を得る機会が少くなる。近眼の人にして普通の人と同じやうに知識を持つて居る人もないではないが、さういふ人は非常な苦心と労力を以て、その知識を得るのであるから、同じ学問をしても人よりは二倍三倍の骨折りをして居るのである。人間の知識の八、九分は皆視官から得るのであると思ふと眼の悪い人はよほど不幸な人である。”
正岡子規 病牀六尺

青猫

萩原朔太郎 1923年
“定律詩の安易なる最大の理由は、たとへそれが失敗したものと雖も、尚相當に詩としての價値をもち得られることである。けだし定律詩には既成の必然的韻律がある故に、いかに内容の低劣な者と雖も、尚多少の韻律的美感を讀者にあたへることができる。しかして韻律的美感をあたへるものは、それ自ら既に詩である。實際、近世以前に於ては敍事詩といふ者があつた。敍事詩は、内容から言ふと明白に今日の散文であつて、歴史上の傳説や、小説的な戀物語やを、單に平面的に敍述した者にすぎないのであるが、その拍節の整然たる調律によつて、讀者をいつしか韻律の恍惚たる醉心地に導いてしまふ。したがつてその散文的な内容すらが、實體鏡で見る寫眞の如く空中に浮びあがり、一つの立體的な情調――即ち「詩」――として印象されるのである。之れに反して自由詩の低劣な者には、全然どこにも韻律的な魅惑がない、即ち純然たる散文として印象される。故に定律詩の失敗したものは、尚且つ最低價値に於ての「詩」であることができるが、自由詩の失敗したものは、本質的に全く「詩」でない。定律詩の困難は、最初に押韻の方則を覺え、その格調の心像を意識に把持する、即ち所謂「調子に慣れる」迄である。然るに自由詩の困難は無限である。我等は一篇毎に新しき韻律の軌道を設計せねばならぬ。永久に、最後まで、調子に慣れるといふことがない。”
萩原朔太郎 青猫

ラヂオ漫談

萩原朔太郎 1925年
“いつたい僕は、好奇心の非常に強い男である。何でも新しいもの、珍しいものが発明されたときく と、どうしても見聞せずには居られない性分だ。だから発声活動写真とか、立体活動写真などといふものがやつてくると、いちばん先に見物に行く。ジヤヅバン ドの楽隊なども、文壇でいちばん先にかつぎ出したのは僕だらう。今の詩壇でも、たいていの新しい様式を暗示する先駆者は僕であり、それが新人の間で色々に 発展して行く。”
萩原朔太郎 ラヂオ漫談

映画時代

寺田寅彦 1930年
“未来の映画のテクニックはどう進歩するか。次に来るものは立体映画であろうか。これも単に 双眼的 効果によるものでなく、実際に立体的の映像を作ることも必ずしも不可能とは思われない。しかしそれができたとしたところでどれだけの手がらになるかは疑わ しい。映画の進歩はやはり無色平面な有声映画の純化の方向にのみ存するのではないかと思われる。それには映画は舞台演劇の複製という不純分子を漸次に排除 して影と声との交響楽か連句のようなものになって行くべきではないかと思われるのである。”
寺田寅彦 映画時代

映画芸術

寺田寅彦 1932年
立体映画 二次元的平面映像の代わりに深さのある立体映像を作ろうという企てはいろいろあるがまだ充分に成効したものはない。特別なめがねなどをかけない肉眼のままの観客に、広い観覧席のどこにいても同じように立体的に見えるような映画を映し出すということにはかなりな光学的な困難があるのである。しかし、そういう技術上の困難は別として、そういう立体的な映画ができあがったとしたら、それは映画芸術にいかなる反応を生ずるであろうか。 実際の空間におけるわれわれの視像の立体感はどこから来るかというに、目から一メートル程度の近距離ではいわゆる双眼視(バイノキュラーヴィジョン)によるステレオ効果が有効であるが、もっと遠くなるとこの効果は薄くなり、レンズの焦点を合わせる調節(アコンモデーション)のほうが有効になって来る。しかしずっと遠くなると、もうそれもきかなくなって、事実上は単に無限距離にある平面への投射像を見ていると同等である。たとえば歌舞伎座(かぶきざ)の正面二階から舞台を見るような場合、視像の深さはほとんどなくなっているはずであるが、われわれは俳優の運動によって心理的に舞台の空間を認識する。この錯覚を利用して映画の背景をごまかすグラスウォークと称する技術が存在するくらいである。 映画の場合には双眼視的効果だけはないのであるが、レンズの焦点が深さをもつという事から来る立体的な効果は目の場合と本質的に変わったことはない。窓わくの花に焦点を合わせれば窓外の遠い樹木はぼやけ、樹木に合わせれば花はぼやける。この効果をうまく使えば現在のままでも立体的な効果を生じ得ないことはないはずである。カメラの焦点が近い花から遠くの木へ移動すればスクリーンの観客はちょうど遠くへ目を移す感じがするはずである。このような方法はしかし現在の映画ではあまり使われていない。これは観客の目がまだそこまで訓練されていないためであろう。 現在の平面映画は、前にも一度述べたように立体的な舞台演技を見るよりもかえっていっそう立体的であるという逆説的なことが言われうる。すなわちカメラの任意な移動によって観客は空間内を自由に移動し、従って観客自身画面の中へ入り込むと同等な効果を生ずるからである。 このようにカメラの焦点とその位置および視角の移動によって現在の映画は、事実上、少なくも心理的には立体的実体的な空間を征服しているのである。それでこの上に多大の苦心をしていわゆる立体映画がようやく成功したとしても、その効能はおそらくそう顕著なものではあるまいという気がする。 現在の発明家のねらっている立体映画はいずれもステレオスコピックな効果によるものであるが、誇張されたステレオ効果はかえって非常に非現実的な感じを与えるということは、おもちゃの双眼実体鏡で風景写真をのぞいたり、測遠器(テレメーター)で実景を見たりする場合の体験によって知られることである。それでいわゆる立体映画ができると、われわれの二つの目の間隔が急に突拍子もなくひろがったと同様な不自然な異常な効果を生ずることになり、従って映像の真実性が著しく歪曲(わいきょく)することになるのではないかと想像される。 ともかくも、現在の映画のスクリーンが物理的に平面だから映画には心理的にも「深さ」がないという考えは根本的の誤謬(ごびゅう)であって、この誤りを認証した上では立体映画なるもののもたらしうべき可能性の幅員はおのずから見積もり得られるであろうと思う。”
寺田寅彦 映画芸術

ドグラ・マグラ

夢野久作 1935年
“なおこの室内に在りますものが、あの皿一つでない事は申すまでもありませぬ。しかも両側の窓の鎧戸(よろいど)や、入口の扉が、固く鎖(とざ)されておりまするために、この部屋の闇黒の度合は極めて深くなっておりますので、あの汚物の燐光が辛うじて認められます以外には、何一つ発見出来ませぬ。どこかでシイ――インと湯が湧いているような、死んだような静寂の裡に、正木博士撮影の「天然色、浮出し、発声映画」のフィルムはただ、漆のように黒く、時の流れのように秘(ひめ)やかに流れて行くばかり……五十尺……百尺……二百尺……三百尺…………。 ……そもそも正木博士は、何の必要があってか、御苦労千万にも、その双耳、双眼式、天然色、浮出し、発声映画の撮影暗箱(カメラ)を、この解剖室の天井裏まで担(かつ)ぎ上げたものであろう……如何なる目的の下に、斯様(かよう)な詰らない闇黒の場面を、いつまでもいつまでも辛棒強く凝視した……否、撮影し続けたものであろう……堂々たる大学教授の身分でありながら、斯様な鼠と同様の所業に憂身(うきみ)をやつすとは、何という醜体(しゅうたい)であろう……と諸君は定めし不審に思われるで御座いましょうが、この説明は後(のち)になってから自然とおわかりになる事と存じますから、ここには略さして頂きます。”
夢野久作 ドグラ・マグラ

欧洲紀行

横光利一 1936年

五月十九日

横光利一 欧洲紀行

唯研ニュース

戸坂潤 1937年
“テクニカラーと色彩別を利用した立体映画とは、技術的に両立 しない。だがテクニカラーを見てまず気のつく点は、色彩のおかげで遠近法も著しくハッキリす るということだ。之は相当に立体感を再現しているから、或る程度まで立体映画の代りをつとめる。少くとも例の「飛び出す映画」の如き「立体映画」よりも 却って立体性に於てリアリスティックなのだ。”
戸坂潤 『唯研ニュース』

宇宙戦隊

海野十三 1944年
“怪物の死骸は、現場で立体写真におさめられ、実物と寸分ちがわない模型を作りあげる仕事が進められた。それからこの怪物のからだに附着(ふちゃく)していた土が小さく区分されて、いちいち別の容器におさめられた。”
海野十三 宇宙戦隊

私の洋画経歴

小野佐世男 1953年
“私はこの頃、天然色映画より進み、立体映画いや発香映画が発明されようと云うことであるが、なにか昔なつかしいサイレント映画がむしょうに見たくってなら ぬ。フィルムは大事にしておけば保存されるものである。もしもあるなら、サイレント名画をふたたび見る機会を得たいものだ。なにはともあれ少年の頃にあこ がれに胸をときめかした「プロテア」の主演女優の名を夢声さんに聞かねばすまないような気がするではありませんか。”
小野佐世男 私の洋画経歴


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