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「ADHD」人間として異様な目的地までの通った道

ADHD人間として、順序に従うのは非常に難しいことなのです。

それは仕事にも勉強にもそういう困難があります、AーBーCーDという作業順番があればBのことに興味があるから最初にそれをやろうとすることとか、Bを済ませたらAに続くとAに夢中になって過集中モードに入るとその段階から離れなくて作業全体的に進まない場合も多いです。こういうことはチーム作業に行うとみんなの進捗に妨げになることもあります。

本を読む時も横文字の書籍を読むときに普通に上から下まで順番通り読まなくて、最初の列を読んでそして最後の列読んであとは左上から右下まで飛ばしながら斜めにざっくり見て、大まかな内容を理解したら次のページへ行くとか。

言語勉強もそうです、日本語学校に普通はひらがなからカタカナこなせたら文法や語彙の勉強に進むのですが、私の場合はひらがなやカタカナこなせたあとはすぐに常用漢字を大体覚えるようになることを優先しました、六ヶ月の当たりには日本語に書いてある記事は漢字の意味からなんとなく話ている内容を理解できました、あるいは中国人のような日本語喋らなくても漢字漢字を読めばなんとなくわかることです。

自分の人生もそんなに計画を立てずに生きているのですが、昔は30歳までは一回日本に働いてみたいなっていうような希望があったのですが、具体的にその目的地までの計画がなかったのです、適当にその方向性に向かう行動を気楽にやりました。

普通大学卒インドネシア人にとっては日本に働きたいであれば、日本語学校で一年間日本語を勉強して、大学院進学して就職活動して大手会社に勤めったら一年間研修して2年目に本作業に関わることになるケースが私が知っている人の中に一般的ですけど。

私の場合は大学院行かずに仕事をしながら適当に日本語を勉強して自分の本業をこなしながら同時並行に進んで、28歳の時に東京で大手会社に勤めさせていただいてました。その時すぐプロジェクトに携わるようになったのです。

それは「凄いですね」という話ではなく、他の人より実力があることではなく、
私のやり方は異なるだけです。

他人は日本語勉強する時に「AーBーCーD」という順番で大学院は「E,F,G,H」学んでその結果「J」というレベルに到達しました。そいう比喩で語ると、私は日本語を勉強するときに「BーAーDーC」の順番で「E,F,G,H」は大学院に獲得するじゃなくて、仕事場や本や色んな人と会うことや様々なところから学びました、同じような苦労していたが表面に見えないだけだろう。

履歴書の上には私みたいな人はあまり認めないのですが、実際その人の中に同じ「J」人間であるかもしれません。

私がよく使った比喩の一つは、
私の成長は建築の工事のようなと違う、彫刻とは近いです。

建築を建てる時に図面を描いて三次元モデルまで作ることで工程や完成系を見えるかのような人生の計画を立てることではなく。

彫像のような彫刻する途中では完成形を見えずに他人から見たら「あんた何をやっているの」かのような少し時間を頂いてたら良い物になれるかもしれない。

それは私の人生の様々な側面に当てはまるのです、キャリアや勉強やものづくりとかは全部同じです、昔はすごく劣等感を感じているのですが、自分の進捗が不明だからよく疑われるのでした。

私の日本語勉強している同士達が私の勉強仕方を疑い、勉強開始したから私は2年後に2級日本語能力試験合格しました。彼らも合格できました、同じ目的地を着くことで私もっと自分自信を上がるようになりました。

そんな経験で、ADHDに抱えている方々に伝えたいのは、私たちみたいな人は脳の働きが異なるだけだから劣等感を感じないでほしい。自分らしく生きていくことで同じ目的地でも異なる道を取ることでも構わないです、もしかしたらもっと面白い人生を送れるのでしょうか。

では、次の記事までに。

良い一日を!






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