ハディアン

元建築家 | 音楽を作る人

ハディアン

元建築家 | 音楽を作る人

最近の記事

一生好奇心を持って生きていたい

今年、私は30歳になりました。 18歳に大学に入るときから30歳の直前まではずっと好奇心を持って色んなことに興味がありましてという風に今の私が思っています。 それはなぜかというと なんとなく 30歳になったからか 安定した仕事から辞めたからか 今音楽家としてまだ結果が出さないか コロナの時からずっと人里離れてになって 自分でも分からなくて、ただなんとなく自分が空っぽになって 昔に感じた好奇心を今懐かしく思ってしまった。 建築家忠雄安藤様のインタビューによく言われている「好

    • 「幻の夜」初日本語の曲をリリースしました。

      お久しぶりです! 久々に記事を書いていないのですが、急にやる気がなくなりました、 そいうのってなんのことでもありますよねたまには、良くないですが。笑 とりあえずお知らせがあります、 私の三番目のシングルをリリースしました! 「幻の夜」 という日本語のタイトルで今回のリリースは日本語で挑戦してみました。 実際歌詞はただ二つの分しかないのですがこの曲は歌がなくても自分がリズムを楽しめるだと思いますので、少し話したいことはその二列で繰り返して歌いました。 ちなみに、歌ってい

      • アウトプットを変えるのに、インプットを変えること。

        数年間クリエイティブな仕事に関わる私はアウトプットというもので他人や自分が評判されることだから、どうやってアウトプットを良くするのか分からなくて中々良くならなかった。 三年前から日本語を本格的に勉強し始めたから、約一年間アウトプットせずにインプットするだけでアウトプットするときに自分もびっくりするほどアウトプットできるようになりました。 それを体験したことで、現在音楽を中心に活動している私は音楽に関してインプットを厳選して二年前からずっとやり続けてた結果私が作った曲を自分

        • 枠の中に映されたもの

          この記事のカバーイメージはアメリカから帰ってきたばかり1歳の甥が書いてあるものでした。 最後に会ったのは三ヶ月の頃でした、今結構成長した私の部屋に走り回ったり、iPadでNoteを読んでいる私の肩に登ってiPadの上につけったapple penを取ってすぐにpro createというイラストレーションソフトを開いてあげるとこのような絵を描いてました。 ぱっとみたら普通の子供の落書きと見えるかと思いますが、アート見るのを好きな私はこの絵を見ると「なんか面白いね、ちょっとした

          Noteで記事を書くことで、会話が豊かになる

          先月からNoteで記事を書き始めたから約30件記事を投稿されました。 Noteに記事を書くこと自体はそもそも私が今まで日本語を勉強してきたインプットをアウトプットとして発揮だしてみたつもりだけだったのですが、気づいたら日常会話にも豊かになりました。 実は日本語をまだまだ勉強している途中ですが、変な言葉や文法の間違いとかはきっとあるのですが、ここで自分の想いを世界に発信することで日々の達成感にもなるし、自分の周りの人たちがあまり知られていないことや想いをNoteに投稿すること

          Noteで記事を書くことで、会話が豊かになる

          「ADHD」自分に合う仕事柄の話

          私は子供の時からある癖に物事をすぐに飽きるから途中で放棄されることが多かったんです。大学や仕事の時に締め切りのギリギリまでに終わらせることも多いのです。 建築科から卒業した後すぐにアトリエ事務所に働いて、最初案件をもらった時に凄くワクワクして3ヶ月飽きちゃった。その時携わったのはニッ戸建住宅の案件ですが、設計から施工竣工まで最低でも1年半かかったから同じことずっとやり続ければすぐに飽きるから凄く辛かったのです。 建築設計者として独立した時もそうだったのですが、案件の途中で

          「ADHD」自分に合う仕事柄の話

          「ADHD」自分らしく本の読み方

          発達障害注意欠陥や多動性に抱えている人にとって、本を読むということは非常に集中力と無動を必要な行動だから、昔からずっと自分が苦手なことだった。 今は結構本を読んでいるのですが、上手くなるとは言えないのです。 少し自分に合う読み方法を工夫して、なんとなく本を済ませるようになりました。それについてお話しいきたいと思います。 私は教科書、私が覚えっている限り読んだことがなかったのです、いや、確か読んだことがないのですね。高校性までお母さんが読んでくれるか、試験の前に友達と一緒に

          「ADHD」自分らしく本の読み方

          「音楽」二つ目の新曲をリリースしました!

          今年四月に建設会社から退社して音楽の活動本格的に始めたなんと四ヶ月を経ちました。六月に初リリースをできましたが、予定通りにならない二つ目の曲のリリースがとうとうリリースしました! 「Kita Coba Esok Hari」というタイトルでございます。 直訳すると「明日でまたやってみよう」という意味で、 ニュアンス的には「今日はだめだったら明日でも乗り越えるかもしれないからさ、今日はとりあえず終わりにしましょう」ということです。 この曲を制作時もまさに歌詞通り、毎日毎日諦め

          「音楽」二つ目の新曲をリリースしました!

          「ADHD」人間として異様な目的地までの通った道

          ADHD人間として、順序に従うのは非常に難しいことなのです。 それは仕事にも勉強にもそういう困難があります、AーBーCーDという作業順番があればBのことに興味があるから最初にそれをやろうとすることとか、Bを済ませたらAに続くとAに夢中になって過集中モードに入るとその段階から離れなくて作業全体的に進まない場合も多いです。こういうことはチーム作業に行うとみんなの進捗に妨げになることもあります。 本を読む時も横文字の書籍を読むときに普通に上から下まで順番通り読まなくて、最初の列

          「ADHD」人間として異様な目的地までの通った道

          「ADHD」10歳のときにADHDが治ったかっと勘違いされた切っ掛け

          前回の記事でADHDに抱えていることを打ち明けしました、 5歳の時に診断されましたが、薬を飲まずに子供として生活を生きている。 薬が飲まなかったのでお母さんが大変お世話になりました、凄く大変だった日々でした。 暴れでずっと走り回ったりしてある時2階から飛び跳ねるとする瞬間にお母さんが留めてくれました。 小学校一年生最初の1ヶ月は教室通わずに工事中学校の広場に職人さんたちと一緒にタイルを敷きました、工事が終わったら教室に通い始めた。 本を全然読めなかった私が試験のために

          「ADHD」10歳のときにADHDが治ったかっと勘違いされた切っ掛け

          「ADHD」シリーズ始めました

          5歳の時に発達障害多動性衝動性「ADHD」に診断されました、 その時医者さんが薬を治療を勧められたがお母さんが「子供にそんな薬がいらないから」っと言いた断りました、それで薬を飲まずにADHDの子供として育てられてきました。 そうです、私はADHDと言う発達障害に抱えています、12歳になった時ピアノ弾き始めたからADHDの症状がなくなったそうだと思われたが実は大人になるまでもまだ残っています。生活に色々大変なことを行う原因となることです。 一方、ADHDのおかげで私のは面白

          「ADHD」シリーズ始めました

          「考え事」楽し「さ」はその「差」にある

          私の投稿した記事ではほとんど人生の向き合い方についてお話しをしましたが、人生色々ある中で人が一番大事にしているのはもしかしたら楽しいく生きている男じゃないですか。 でも、楽しことだとしてもずっと同じことやるとつまらなくなるじゃないですか、他の楽しことを追いかける、時間を経ってまたつまらなくなると言う循環になるのじゃないですか。 私が気づいたのは楽しさはその「差」にあるのじゃないですか。 最初は楽しいことなのに、時間を経て普通になってしまて、 普通のことでもやったことがない

          「考え事」楽し「さ」はその「差」にある

          「考え事」1993年の生まれ私は今年20歳になりました

          不思議なタイトルでしょう、妄想とは近いかもしれませんが、 自分が本当にそう思っています。 私は20代前半に初めて本を読むことになりました、25歳の時に「20歳まで本全然読んだことなかったことが凄く後悔します」もっと前から本を読んだら今の自分がもっといいところにいるはずだったけど、しょうがない。 もし10年前の自分に戻れるなら… ああ! そうか、自分が勝手に10年若くなると思い込んでもできるかも… でも馬鹿げられてるでしょう。 色んな社会的意見や法律などに関すること

          「考え事」1993年の生まれ私は今年20歳になりました

          「考え事」その忘れていた言葉達で今の僕が作られた

          私は一番最初の残っている記憶は5歳の誕生日だったんですが、 その記憶は自分お前に「5歳」と書いてあるケーキを切るときですが、 他の記憶はバラバラで、それは本当に行ったかどうか実はわからないのです。その時僕がやったことや言われたことなどを全く記憶に残らず成長してきた。 大学に心理学専攻した妹によると0歳から5歳までは人間の発達に一番大事な時期だという、人の性格や自然体のほとんどはその時期に作られたものだという。 でも… 私はその時のことを何も記憶に残らないのですが、 自己

          「考え事」その忘れていた言葉達で今の僕が作られた

          「考え事」自分を評価する権利が自分にしかない

                        学校               大学               会社               他人               両親 それらの存在は私たちのことを評価する権利があるということはみんな当たり前に思ってるでしょう。 もちろんそれは人間として最初の段階に必要性があります、何も知らないころ私たちが導いてくれる存在として必要だと思いますが、大人になってからそれらは結局ただの組織や団体の中に作られた仕組みや法則や習慣において評価基準

          「考え事」自分を評価する権利が自分にしかない

          「考え事」大人になってから新しい言語を習得することは難しいというのは本当でしょうか?

          大人になったらもう言語を習得することは無理っていう風に思ってる方が少なくはないでしょう。 大人になったらもう脳が遅くなったから子供のような言語勉強することができないだろうというような話がよく私の周りの人達が言った。 実際そうでもないかもしれません。 私は日本語を本格的に学び始めたのは5月2020年でした、その時私は独立して建築の設計仕事をやっていましたが、丁度コロナ禍が始まったとき当時仕事が全部なくなりました。膨大な暇な時間の中で何か役に立つことをやろうとする時に、本格

          「考え事」大人になってから新しい言語を習得することは難しいというのは本当でしょうか?