人生のターニングポイント(統合失調症の私のNPO法人設立奮闘記Vol90)
人生のターニングポイント
人生には、ターニングポイントとなる出来事がありますよね。それまでの人生と大きく流れが変わってしまうような出来事が。私にもありました。今日は私の人生のターニングポイントについて書きたいと思います。
①結婚・出産
私は22歳で元夫と結婚しました。恋愛結婚でした。すごく元夫を愛して、元夫から愛されての結婚でした。とても幸せでした。でも、この結婚で私の人生は、大きく変わりました。学生時代を過ごした、大好きな京都の街を離れ、元夫以外に誰も知り合いのいない、中国地方の小さな町に私は嫁いだのです。
元夫が僧侶だったため、とにかく毎日とても忙しい、そんな日々が待っていました。今までの自分の人生とまるで違う生活。戸惑いもありました。それでもそれを厭わないくらいに、私は幸せに包まれていました。
23歳の時に長男を、26歳の時に次男を出産しました。想像した以上に賑やかな日々を私は過ごしました。息子たちは、とても可愛くて…喜びに満ちた日々が私を待っていました。
初めてハイハイをした日。
初めて歩いた日。
初めて言葉を発した日。
息子たちは、いくつもの感動を私にくれました。そう、私は本当に幸せでした。でも、足元にある幸せに気づかずに、私はどこか遠いところに幸せを探し求めていました。
②発病
そんな私の幸せな日々は、突然壊れました。統合失調症を発病したからです。ストレスと過労と睡眠不足が原因でした。毎日不安で不安でたまらなくて。幻聴と幻視はとても怖かったです。
発病したのは34歳の時でした。元夫にも、息子たちにも、私の両親にも、とても心配をかけてしまいました。
私が発病したとき、息子たちは11歳と8歳。母親が恋しい歳です。私が入院になって、どれほど不安で淋しかったことだろうと思います。息子たちに申し訳ない気持ちでいっぱいです。
戻れるなら、発病する前に戻りたいです。二人を思いきり抱き締めたいです。でもそれは叶いません。
ともかく、統合失調症の発病は、私や家族の人生を大きく変えた出来事でした。
③離婚
発病した私を元夫は懸命に支えてくれました。そのことには感謝しかありません。一向に良くならない私の病状。私も辛かったけど、元夫も息子たちも辛かったと思います。そして元夫は一つの決断をしました。離婚という決断です。
その決断は、私にとってはとても辛く苦しいものでした。息子たちと離れて暮らす淋しさは、言葉では言い表せません。たぶん経験した人しかわからないと思います。
元夫と離婚した私は、実家の家族のいる東京でしばらく暮らしました。一人暮らしのマンションで、私はよく息子たちの夢を見ました。一緒に笑っている夢。目が覚めた時にそれが夢だとわかったら、言いようのない淋しさが込み上げてきました。その淋しさに私の心は押しつぶされそうでした。多分あの頃が、人生で一番つらく苦しかったと思います。
淋しさに耐え切れずに、私は、オーバドラッグによる自殺未遂をしました。今は生きていてよかったと心から思うけど、あの当時は死ねなかったことで、神様を恨みさえしました。未来があるなんて、とても思えないくらいに、淋しく、辛く苦しい日々でした。
④カウンセラーの妙さんとの出逢い
離婚して、東京で暮らした私は、東京のスピードについていけず、伯母を頼って京都に戻りました。京都は、学生時代を過ごした街です。友達もたくさんいます。
少しずつ明るさを取り戻した私は、友達の紹介で、上倉妙さんのカウンセリング受けることになりました。
妙さんとの出逢いはとても大きなものでした。私は、それまで蓋をしていた自分の心と向き合いました。心の声を一生懸命聞こうとしました。妙さんがそれをサポートしてくださいました。
時に、苦しくもあったその作業。でもそれはと大切な作業作業でした。私は、自分が思っている以上にいろいろな人の愛を受けて育ったことに気づきました。私に愛を注いでくれた人への感謝の気持ちがわいてきました。
ものの見方、捉え方、考え方。私は妙さんからたくさんのことを教わりました。
今は妙さんのカウンセリングは卒業しましたが、私を大きく変えてくれた妙さんにとても感謝しています。
⑤ゼロ秒思考のメモ書きルームとの出逢い
妙さんに教わって、私はClubhouseを知りました。そして、ゼロ秒思考のメモ書きルームに出合いました。
ゼロ秒思考は、元マッキンゼーの赤羽雄二さんが考案されたメソッドです。そのゼロ秒思考のメモ書きを、シモトリマコトさんが、毎朝みんなで一緒にやるルームを開いて下さっているのです。
このルームとの出合いは私を大きく変えてくれました。根底から変えてくれたといってもいいと思います。
まずくよくよと悩むことがなくなりました。そして、考えがまとまるようになりました。私の病気の統合失調症は、考えがまとまらない病気です。このゼロ秒思考のメモ書きで、そんなとっ散らかった考えがまとまるようになったのです。感謝しかありません。
私は、精神医療の現場に、このゼロ秒思考のメモ書きのメソッドが取り入れられることを願っています。絶対に効果があると思うからです。
また、このゼロ秒思考のメモ書きのルームで、とてもたくさんの素敵な人たちと出逢うことができました。その出逢いは私の人生を豊かなものにしてくれました。
⑥初任者研修修了
3年前の夏に私は、介護職員初任者研修を修了して、介護補助の仕事に就きました。このことも私の人生を大きく変えてくれました。
働く喜び。
そう働く喜びを感じられるようになりました。私を必要として下さる利用者さん。私を必要として下さる職員さん。それに応えることで、自己有用感と、自己肯定感が高まりました。
「自分はここにいていいんだ」
「自分はここに存在していいんだ」
と思えるようになりました。
⑦Safe Space ほっこりの活動
去年の11月から、私は、「心の安全基地づくり」の会のSafe Space ほっこりの活動を始めました。自分自身の経験から、「心の安全基地」の必要性と重要性を痛切に感じていたからです。
珈琲焙煎処桃栗さんでの毎月のイベントに加えて、5月には、発達障害でありプロのナレーターであり、本も2冊出版されている中村郁さんの講演会を。10月には、ドイツ人の女優でパフォーマーでアーティストのフランチスカさんのコンテンポラリーダンスのイベントを企画して実施しました。おかげさまでどちらのイベントも満席で、好評を得ました。
私一人で始めた活動でしたが、今は理事5人で、NPO法人設立を目指して頑張っています。この活動を通じて、たくさんの素敵な出逢いがあり、たくさんの学びがあります。それらは私を大きく成長させてくれています。
⑧彼女さんとの出逢い
もう一つ大きな出逢い。それは今大好きな彼女さんとの出逢いです。彼女さんとは、横道誠さん主宰の「月と地球」という発達障害の自助会で出逢
いました。
とても綺麗で、可愛くて素直な彼女。そんな彼女に私は強く惹かれてしまいました。
最初は戸惑っていた彼女。でも彼女もだんだんと私に恋してくれるようになりました。今すごく幸せなのです。
彼女への恋を通じて、
「自分はどんな成長をすることができるのだろう?」
と毎日考えています。この恋はきっと私を強くして、深くして、成長させてくれると感じています。
将来、
「彼女と一緒に暮らせたら嬉しいな」
と思っています。それは今の私の夢の1つでもあります。なんか叶えられそうな気がするな・・・
いくつものターニングポイントを越えて
このようにいくつもの人生のターニングポイントを越えてきた私。その中には辛く苦しいものもありました。逃げ出したくなるものもありました。でも、私は逃げませんでした。自殺未遂して逃げようともしましたが、結果として私はその傷を受け入れました。
人生って、本当にいろいろな事が起こりますよね。だからこそ生きていくのは面白いのだと思います。
これから先も、きっと私の人生にはいろいろな事が起こるのでしょう。ピンチもあるのでしょう。
そんな時も
「これは何のチャンスだろう?」
と思えたらいいなと。変化を楽しめたらいいなと。
今の私は以前の私とは違っています。仲間もいるし、何より傍らには、愛する彼女さんがいてくれます。
チャンスもピンチも楽しんで受けとめられたらいいな・・・
最後まで読んで下さって、ありがとうございました。