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6年間校内で裸足生活―保健室

 僕は、爪が欠けた足の親指にティッシュを被せ、輪ゴムできつく留める応急処置を施し、保健室まで一人で歩いた。後ろから瀬村みきが小走りにやってきて、

「さっきはごめん。わたしも一緒に保健室に行きます」

 僕は無言でとぼとぼ歩き出した。瀬村みきは僕の手をにぎり、肩甲骨あたりに手を添えて、歩行を補助してくれた。途中、二人の足がもつれ、何度か彼女の上履きの端に裸足を踏まれた。そのたびに彼女はば申し訳なさそうに「ごめん」と白い歯を見せて笑った。

 保健室に入室すると、養護教諭の青山みさと先生がストーブの前に身をかがめて暖を取っていた。30歳くらいの色白の女性で、黒髪によく似合う縁の大きな眼鏡をかけている。肉付きがよく、白衣の胸元は豊かに膨らんでいる。白衣から下の脚は、黒い厚手のタイツに白い底の厚いスニーカーが履かれていた。

「すみません、彼、足を怪我してしまいまして。手当てをしていただけませんか?」

 瀬村みきが大きくはっきりした声で先生に話しかけた。青山みさと先生はおもむろに立ち上がり瀬村みきを一瞥し、隣にいた僕の顔を見て目を細めた。そして足の爪先から頭のてっぺんまでじろじろ注意深く観察してからようやく口を開いた。

「どれ、足、見せてみ」

 青山みさと先生はぶっきらぼうに言い、木でできた台を持ってきて置くと、あごをしゃくった。

 僕はおそるおそる右足を台に置いて、埃と血で汚れた爪先を先生に突き出した。青山みさと先生は薄いナイロンの手袋をはめた手で、僕の裸足の親指から輪ゴムとティッシュを取り払い、患部をあらわにした。半分欠けて残った爪とむきだしの赤い肉を指でなぞりながら、淡いピンクの口元を歪めた。

「どうしたん?これ」

「給食の配膳台のキャスターに轢かれたんです」

「上履きは履いていなかったん?」

「はい」

「きみ、前も廊下を素足で歩いているの、注意したことあったよなあ。そのとき先生、裸足のデメリット解説したと思うけど、なんて言ったか覚えとる?」

 僕はしどろもどろになりながら記憶をさかのぼり答えを探そうと四苦八苦した。僕の答えを待たず先生は、

 「素足でいると、①人に足を踏まれたり、物に足をぶつけて怪我をする、②不衛生。特に傷口から雑菌が入ると危険、③不快に感じる人がいる、④みんなと同じことができず、当たり前のルールが守れない人間になってしまう、⑤いじめやからかいの原因になる、⑥冬は霜焼けになったり、下半身が冷えて健康に悪影響が生じる、⑦素足で外靴を履くと臭う、⑧集団行動や授業に支障が出る、例えば上履きを脱いで和室に上がる茶道とか、体育のバスケやバレーボールとか、薬品を扱う理科とか、衛生管理や火気、裁縫で針を使う家庭科とか、素足では問題があるよな。つまり、素足はデメリットがたくさんあるってことなんよ。きみは6年生でしょう。もうTPOをわきまえなきゃいけない年なんよ。わかる?下級生のお手本にならなきゃいけないんよ。それなのにどうして素足なん?」

「1年生からずっと裸足なので、慣れているからです。裸足のほうが気持ちがいいし、動きやすいです」

「わたしには理解できんなあ。自分だけ素足で恥ずかしくないん?みんな上履きと靴下を履いているのに。おかしいと思わんの?」

 恥ずかしくないと言ったら嘘になる。やっぱり一人だけ裸足でいるのは心細いし、どうしても他の人の足元が気になり、自分の汚い足と見比べて恥ずかしい気持ちになる。

「恥ずかしいです」

「そうでしょ。それなのにどうして素足を続けるん?そこまできみが素足を貫く理由は何なん?」

 青山みさと先生は厳しい表情で僕の目を見つめ、詰問してくる。僕は涙目になった。

「すみません先生、そろそろ治療してあげてはいかがでしょう?」

 瀬村みきが言った。青山みさと先生は無言で立ち上がり、ぬるま湯に浸けたタオルと消毒液、綿、ガーゼを持って処置に移った。

 青山みさと先生は、僕の足を手のひらに乗せ、爪先から踵までこびりついた真っ黒な汚れをぬるま湯に浸けたタオルで丁寧に拭き取ってくれた。温かく、気持ちがよかった。僕は心に暖かく優しい灯が宿るのを感じた。次に、爪が剥がれたむきだしの赤い肉に消毒液を含んだ綿が当てられると、傷口が滲みてチクンと痛んだ。よく見ると柘榴のように肉がぱっくりと割れている。傷口の谷は赤黒い血がまだ滲み出していて、かなり深そうだった。足の親指はガーゼの上に包帯が巻かれた。止血のためかなりきつく巻かれた。

「これでよし。今日は体育とかあるん?」

「あります。バスケですが、踏まれないよう気をつけてやります」

「見学したほうがいいよ。踏まれなくても、踏ん張ったりして足指に力を入れたとき、傷口が開くから。まあ、まかせるけど」

 瀬村みきは「ありがとうございました!」と言ってから「でも青山先生、」と言葉を続ける。

「裸足は本当にデメリットばかりでしょうか?裸足は健康や運動機能の発達に良いため、一部の小学校では裸足教育を行っているところもあると聞いたことがあります」

「あのね~、裸足が良いなんてことは医学的に立証されているわけじゃないんよ。むしろ、年齢や発達、状況に応じて適切な靴を選んで履くのがベストというのが世界的に権威ある保健機関の見解であり、養護教諭としてのわたしの見解です。こんな真冬にコンクリート造りの校内の床をぺったぺった裸足で歩くのが良いわけないでしょう」

 僕はまだ何か言いたげな瀬村みきに「もういいから」と囁き、彼女の袖を引いた。瀬村みきはふぅと軽いため息をつき、「そうね」と言った。僕と瀬村みきは、青山みさと先生に深々と頭を下げてお礼を言い、保健室を退室した。「ところでさっきの続きだけど、」と裸足のデメリットについて説教されたら僕の小さな心臓が耐えられないと恐れたからだ。

つづく

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