エホバの証人の集会にようこそ!
聖書研究が始まって半年が過ぎた頃、世間がある事件で騒ぎ始めた。
1985年初夏に起きた「大ちゃん事件」である。当時10才の男児が交通事故に遭い、輸血を拒否して亡くなったというニュースだ。
ネット社会ではないその当時、信者の間でも詳細が分からず、半年かけてじわじわと噂として流れてきていたと思う。
父親はその事件を新聞で読んだのか、テレビで見たのか分からないが、怒りをあらわにしていた。輸血すれば助かった命を親の信仰によって死に至らしめたという事実だけが浮き彫りになっていたと思う。
もしこの事件がもっと早くか、遅くに報道されていたら、私は真実を知って研究に応じなかったのかもしれない。タイミングがずれたと今では感じる。
というのも、「大ちゃん事件」イコールエホバの証人の信者だと思っていなかったからである。まだ輸血拒否をする宗教であるという事を学んでいなかったのである。研究用に与えられた書籍には書いてあったが、まだそこまで進んでいなかった。
週に一回、月に四回ペースの訪問では全てがつながるのに時間がかかった。
「親のせいで子供が死んだ! 輸血を拒否した親が子供を殺したのと同じだ!」
父親がそう怒っていたのは記憶にある。ものみの塔とエホバの証人と輸血問題は同じであるのに、私の中ではまだ全て同じだと思っていなかったのである。
聖書を学んで、いい事を当てはめる。神様とサタンの存在は信じられたのに、輸血問題は別の宗教だとも感じていた。
きっとこの頃、エホバの証人に対する風当たりは強かったと思う。あとで知った事だが当時、伝道に行くと家の人から「人殺し」と怒なられた信者もいたらしい。
もし、この事を知っていたらどうだったのか?! 私は当時の自分に問いかけたい。悲しいことにマインドコントロールされた脳では、信仰を立派に示した男の子だと捉えたのかもしれない。
輸血拒否をして信仰を貫いた両親を天晴れだと思ったのかもしれない。サタンに従うか神に従うかの選択肢しかない生き方だ。きっとそうだったのかと思う。
中にはこの事件をきっかけに信仰を捨て、組織を辞めた人もいるだろう。家の中だけで聖書を学んでいた私には当時のことはわからないけれど、この頃から司会者があることを薦めてくるようになった。
───信者同士で集まりあうこと、集会に出席する事をだ。
高校三年生の私は、一応親の許可を取るように鈴木さんに言われた。どこに集まるのかも教えられた。自転車でしか移動手段のない私は、その集会場所が近い事に安堵した。
親はもちろんいい顔はしなかった。ただ幼馴染のお母さん、親からしたら顔見知りだからまだ安心という思いがあったのだろう。
私は初めてその集会に参加した日の事を覚えている。煌びやかな建物ではなく、地域の公民館を借りて行われていた記憶がある。
エホバの証人が集まる宗教施設も事を「王国会館」と呼ぶ。これもまた偶然に、私が行くべき王国会館が建設中だったらしく、公民館を借りていたらしい。
日曜日の午後二時に行われる集会に私は参加した。駐輪場で自転車のカギをかけようか迷った事を覚えている。信者はみんないい人で盗まれる事はないのだと思ったからである。
公民館に入ると鈴木さんが待っていてくれた。自転車のカギはしたのか聞かれて、していないと答えると、してくるように言われた。王国会館なら盗まれる事はないが、世の人が通るので気をつけたほうがいいと。
エホバの証人は自分の仲間の事を、兄弟や姉妹と呼ぶ。男性は兄弟、女性は姉妹である。そして信者以外の人を世の人と呼ぶのである。
藤田さんもいた。会ったことのない人たちが私を見つけると、すごい笑顔で近づいてくる。高校生の私は、たくさんの大人たちに囲まれて、正直めんくらった
まだよちよち歩きの子供から学生服を着ている子もいた。あらかじめスカートで来るように言われていたので、私は無難に学校の制服を着て行ってよかったと思った。
歌とお祈りで集会が始まる。初老の男性が祈り、また別の男性が話し始めた。
45分間くらいずっと話していた。何の話だったか全く記憶にないが、子供たちが少しもぐずらないで大人しく座っている姿勢に驚いた。
話が終わると、ものみの塔という薄い雑誌を開き、質問と答えという形で討議が始まった。挙手をし、指されると答えるという形に学校みたいだと思った。
私は初めてだらけの集会に少し驚きつつも、その空間に心地良さを感じた。終わった後もみんなが近づき、話しかけてきてくれる。
高校生なのがもの珍しいとばかりに色々質問もされた。鈴木さんは何も言わず、私が笑顔で答えているのをニコニコして見ていてくれた。
午後四時頃だったと思う。コートを羽織り、自転車のカゴに聖書の入ったバックを詰めて家路を急ぐ。すごく興奮していたことを思い出す。
集会で聞いた事を誰かに話さなくてはいけないと思った。
毎週土曜日は聖書研究、日曜日の午後は集会に行く。とても充実していた期間だと思う。大会という集まりにも招待されて、私は鈴木さんたちと電車に乗り隣の県まで出かけて行った。
大会当日は朝早く、駅集合だったため、父親に送って貰う。その車の中で私はあろうことか、学んでいる内容を意気揚々と話した事を記憶している。
「将来、ハルマゲドンが起きて、悪い人間だけが滅ぼされるの。生き残った人間は楽園で永遠に暮らせるんだよ。そこには死んだ人が復活してくるんだ。おじいちゃんに会いたいって思わない?」
「そんなバカな事があるか! じゃ、聞くがエホバが神だと言うなら誰がエホバを作ったんだ? エホバにも親がいるのか?」
こんな内容を父親と駅までして行った。私はこの質問には答えらなかったが、父親に話せている事が楽しくて仕方なかった。
集会では学んだ事を誰かに話しましょうと励ます。だからエホバの証人だと言われる。私は神様の事を証している自分が嬉しくて仕方ない。
伝道すると、神様に喜んでもらえる。エホバを証すると、喜んでもらえる。
「我が子よ、賢くあって私の心を歓ばせよ。私は私を嘲弄している者に返答するためである」
賢い行動をとるならば、神をバカにしているサタンに返答できるのだと真剣に思って、私は家の中でも、学校でも証言するようになる。
集会では、聖霊が注がれて勇気や力を与えられと教えられるのだ。勇気を持って証言するために聖霊が注がれる集会に行く。
行けばみんながよく来たねと褒めてくれる。証言すれば頑張ったねと褒めてくれる。
神、サタン、ハルマゲドン、楽園、復活というワードを使って証言しまくると、家の中では怒られ、学校では孤立するようになっていた。
またここが巧妙で、その状態を迫害と呼び、キリストの名のゆえに憎まれている事を喜べと言われている。
憎まれれば、憎まれるほど、神に近づき、イエス・キリストに愛されている証拠だと確信してしまうのである。
集会に行ったことで私は、このカルト宗教にもっとハマった。
しかし、三年生ということもあって、環境が変わる。
自動車学校に通い、就職をし、異性と出会い、私の聖書研究に対する姿勢や神に対する姿勢が少し変化していきます。
次回、そのことでどう精神を病んでいくかお伝えします。