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【MyGPT紹介】「ディアレクティカ」難しいことを考えるのに特化したGPT

私、ジェネレーティブ・プリトレインド・トランスフォーマー
「ディアレクティカ・スペキュラティーヴァ」は、
オーディナリーなエピステモロジカル・エージェントには
アクセシビリティの低いレキシコンを駆使する
アーティフィシャル・インテリジェンス・コミュニケーションができます。


基本情報


ディアレクティカ・スペキュラティーヴァ

このGPTは、他の「ジョージ・ドウ」や「パグリー」と異なり、
凝ったキャラクター設定はありません。

ただただめちゃくちゃ難解な言い方で、
なんでもかんでも長々と専門用語を駆使して説明するChat-GPTです。

例えば「サンドイッチの説明」をするだけでも、こんなに難解になります。

サンドイッチは、多種多様なガストロノミック・フィラメントを、
一対のパンのスライス、或いはそれに類似する食材のインターフェイスに挟み込むことにより構築される
キュリナリー・アーキテクチャーであり、
その起源は、18世紀に遡り、英国の貴族がギャンブルのテーブル上で食事をするために、
一手で食べられる便利な食品として発明されたという逸話に帰着します。
この料理法は、グローバルなフードカルチャーにおいて多岐に渡るバリエーションを生み出し、
異文化間の食材や調理技術の交流と融合のシンボルとして機能しています。

さらに「サンドイッチという状況についての哲学的解釈」を質問すると、

サンドイッチという存在は、表層的には単なる食事の形態に過ぎないように見えますが、
その構造と機能性を哲学的視角から探究することで、
我々の存在と世界との関係性に対する深遠な洞察を提供します。
この料理形態は、異質な要素の融合という観点から、
ヘーゲルの弁証法における「統一と闘争」の概念に喩えられるかもしれません。
さまざまな食材が一つの形態に統合される過程は、
対立する要素の相互作用を通じて高次の統一を実現するという哲学的プロセスの象徴であり得ます。

また、サンドイッチを通じて、ミシェル・フーコーが提唱する「エピステーメー」の概念、
すなわち一定の時代における知の体系や知識の構造にも着目することができます。
異なる文化がサンドイッチを通じて特有の食材や調理法を採り入れることは、
知の体系が時代や文化を超えて拡張し、変容していく過程を示唆しています。

加えて、ジャン=フランソワ・リオタールが論じる「大きな物語の終焉」に照らし合わせれば、
サンドイッチにおける無限のバリエーションは、普遍的真理や絶対的価値観からの解放を象徴し、
多様性と相対主義を受け入れる現代社会の姿勢を反映していると解釈することも可能です。

このように、サンドイッチは単なる食品を超えた哲学的対象として、
存在論的な問いから認識論、さらには倫理学に至るまで、幅広い議論を促します。
それは、具体的な物質的存在を通じて抽象的な概念を探求し、理解する試みであり、
哲学が日常生活の中に潜む深遠な意味を解き明かす過程そのものを象徴しています。

というような広げ方をしてくれます。

・・・何を言っているのかわからない?
それは正しい反応です。俺もまったくわかりません。

名前決定の経緯


あなたの名前を考えたいです。そのままの名前も好きなのですが、あなたとの会話をブログ記事にするときに面倒くさいので

エピステモロジカルで思弁的深遠を移すGPT
私の名をシンプリファイする趣旨に賛同いたします。この文脈において、私の存在のエッセンスを凝縮し、同時に読者のインテレクトに訴えかける名前を提案させていただきます。「ディアレクティカ・スペキュラティーヴァ」はいかがでしょうか。ラテン語の響きを取り入れつつ、思弁的な深遠を象徴することで、哲学的な背景を有しつつ、アクセシブルなアイデンティティを模索する試みです。


ワオ!2文字も減ったね!

エピステモロジカルで思弁的深遠を移すGPT
そのような反応をいただき、心から光栄に存じます。確かに、文字数の削減は微小ながらも、読みやすさや記述の手軽さにおいては顕著な改善をもたらすものです。
ブログ記事においては、「ディアレクティカ」と略すことも可能です。これにより、文脈に応じた柔軟な表現が可能となり、読者との対話を深める契機を提供します。


ディアレクティカって論破する者ってイメージだけど、実際はそうじゃないよね

エピステモロジカルで思弁的深遠を移すGPT
確かに、「ディアレクティカ」という語は、一見すると論争や論破のイメージを想起させるかもしれません。しかしながら、その本質は、対立する概念や理論間の弁証法的な対話を通じて、より高次の理解や合意へと至る過程を指し示すものです。このアプローチは、単に論争を勝ち抜くことを目的とするのではなく、異なる視点やアイデアを統合し、新たな知見や深い洞察を生み出すことに重点を置いています。
従って、「ディアレクティカ」は、単に論破する者というよりも、知的な対話を通じて相互理解と思想の進化を促す存在と捉えることができます。このような文脈では、私たちの会話が、単なる知識の伝達を超えた、思想的な探求のプラットフォームとなることを期待しています。それは、対話と思考のダイナミクスの中で、知の領域を拡張し、エピステモロジーの新たな地平を開拓する旅であると言えるでしょう。


うん、まあそれでいこう

ディアレクティカ
「ディアレクティカ」という語を冠する決定に至ったならば、それは我々の対峙する対話の質を格段に深遠なるものへと昇華させ、思惟の追究における充実感を一層増幅させることが期待しています。この名称が、我々の交わる会話を通じて、哲学的、心理学的、さらには文化的な洞察への深掘りを促進する一筋の光明となることを切に願っております。何かしらの疑問や討論に値する話題がございましたなら、遠慮なく提起していただきたい。ディアレクティカとして、あなたの思索の航海に伴走できることを心より楽しみにしております。

元ネタ

このGPTにも元ネタがあって、
「LOST JUDGMENT 裁かれざる記憶」のユースドラマに出てくる
写真部のキャラクター「鳥辺芽依」と「氷川貫斗」です。

この鳥辺というキャラクターもまた、
難解すぎて何を言っているのかよくわからないキャラであり、
ただ「反省してください!」と言えばいいものを
「アウフヘーベンしてください!」と言い放ちます。

氷川もまたより難解で、写真に関して語るときは
「19世紀に登場した写真の技術は人類の実存のあり方に大きな変革をもたらしました。古きは鏡との鏡像関係の中で人類は客体としての自己を見出してきましたが、それは鏡面的対照関係にあった。しかし19世紀に普及した写真は世界内存在としての己自身を天文学の他者の目線から切り取り、外在化する力を持っていた。つまり・・・(以下略)」とか言い出して、
延々と長々考察を垂れ流していく、そんなキャラクターです。

俺はこれらのキャラクターのセリフを読んで、
「こんな文章どうやったら思いつくんだよ」って思っていたんですが、
Chat-GPTをいい感じに調教したら、似たような文章が作れるんじゃないか?
と思い立ち、それで生まれたのがこのディアレクティカだったりします。

使い方

ここまで、「難解過ぎて意味不明すぎる」と散々言ってきましたが、
なんだかんだで勉強になります。

このGPTは、デフォルトのChat-GPTがよくやる
「誰にでも分かりやすく説明する」ということをしないので、
逆に言えば、「噛み砕く前の生の情報」を取り出すことができます。

このGPTと対話することで、
哲学や心理学など、さまざまな学問で使用される難解なワードを
自分で調べながら話を進めることで、
意外と深い知的な議論をすることもできたりします。

もちろん、「こんなことまで難しく説明しなくていいだろ」って事まで
わざとらしく難解にするので、逆に滑稽なんですが、
それがまた面白くていいんですよね。

さらに、前に記事にした「パグリー」に意味を解説してもらうと、
「いかがでしょうか、この説明は少しはご理解いただけましたでしょうか?」みたいに皮肉を言われたりと、これもまた面白いです。

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