子どもの成長から見えるもの
来年小学校に上がる長男は、
最近ぐっとお兄さんになった気がする。
語句も増えて、自分の気持ちや状況を伝えられる。
自分の好きなものがよくわかっている。
相手の状況を見て行動を変えられる。
苦手だった気持ちの切り替えも、
1年前に比べたらとてもうまくなった。
長男の同級生たちも、それぞれの成長を遂げている。
そんなわが子たちを見て、多くのママ友が
「ちょっとさみしいよね」と言う。
うれしいけれど、ちょっとさみしい。
きっと多くの親が感じる複雑な心境というもの。
…わたしはというと、
「さみしいな」って言うママ友の気持ちはわかるんだけれど、
自身としては実はまったくさみしくない。
出された食事を自分で食べ、
親がいない場所でもたのしく過ごすことができ、
親以外の大人を信頼して頼ることができる。
自分の好き嫌いを理解し、
好きなものを選び取ることができる。
嫌な時は泣いたり怒ったりできる。
数年前はできなかったことが
どんどんできるようになる長男。
その成長が
頼もしくて、ひたすらうれしくて、
そしてたまらなくホッとする。
成長にたいしての単純な安心感と、
親としてすべきことが最低限はできているよ、
と目に見えないマル印がそこにあるような気がするからだ。
「合格」とかではない、途中点(今の学校には存在しないよね)
のような感じだけどね。
人ととして、親として
不安しかないわたしにとっては
彼の成長がわたし自身を認めてあげられる理由になってるんだろうな。
相変わらず、根底は不安と自信のなさのかたまりだ。