三月九日『片生ひ百年』のこぼれ噺~その①
お元気してましたか。私もなんとか生きております。久々の更新でございます。今日は浅草へ行きまして、落語のお話を相談し、本番用の着物を購入しました。端切れも購入し、ミシンで衣裳を作ることにします。
今月末にハコボレ落語研究会『片生ひ百年』が控えております。
落語は『紺屋高尾』そして、そこから繋がる「ひとり芝居」です。
会場は「新宿眼科画廊 スペース地下」にて上演です。
こちらは掲載の詳細です。
今回は、落語研究会のお話というより自分の整理の文章です。
四年前の第弐回落語研究会では「紺屋高尾」と「紙入れ」という落語だけをした会がありました。まだ「落語から演劇へ」ができる前のお話です。ちょうど、この三月の同じ時期でした。今回、改めて「紺屋高尾」に挑みます。
この2022年に入ってから、落語研究会を除いてみたり、三十九寄席に出演したり。落語のワークショップに参加したりと。「落語」に多角的に触れる機会が増えました。毎年毎年「落語家に弟子入りしようか」という強い想い。同時に捨てきれない自分の俳優「前田隆成」と「ハコボレという団体の可能性。この天秤がどちらかに触れてしまいます。
真剣に好きだからこそ、きちんとお師匠さんに教わる方がいいのか。それとも、俳優、舞台製作者として「落語」と「演劇」を掛け合わせるスタイルを貫くべきか。毎年真剣に考え、今までは「演劇を作るのも、落語を学ぶのもすべては、俳優のための修行である」と考え続けておりました。
出会うたくさんの方に尋ねます。
「弟子入りは早い方がいい」「きちんと就学したほうがいい」「二つ目までは演劇も俳優も仕事もやめることになる」「まぁおススメはしないわな」「ぐずぐず考えるなら入っちまえよ時間がもったいない。」などなど。
これまで「人に尋ねても答えは自分の中に在る」と思っておりました。ただ今はわからなくなってしまいました。
有難いことに、今年は落語と演劇の出演、脚本の提供もお声をかけて頂いたりと、本当に嬉しいのです。なので、ぐるぐると思考した現状の答えは「目の前のお仕事を全力でやる」のコマンドになっております。その一瞬一瞬を思考し懸命に行動すれば、何か答えが出るかもしれません。
私は「落語から演劇へ」の作品をあといくつ作れるのかを考えます。私はこの作り方がとても気に入っていて、大好きなのですが同時に前回よりも良いものをとあがいております。生みの苦しみが年々深くなりパソコンの前に座っては「納得がでない」と深みにハマっています。焦りは禁物ですが、なかなか好転しない苦しさがあります。それでも公演の日は迫っているので、できるところから作る。今日も落語を稽古し、小道具を作り、今から打ち合わせもする。どうして公演をするのだろうと、ふと思います。
もっと広く、長く捉えていきますと、
演劇を作った先に、俳優を続けた先に、落語家になった先に。
自分はどこへ向かうことを夢みていたのでしょうか。
舞台に立ち始めた頃の自分自身の「夢」は何だったのか。
あえて扱った「夢」という言葉が、いつしか言えなくなって、目標や計画という言葉に置き直して、現実的に考えるようになっていった。今回の題、『片生ひ』というのは「青臭い」という意味がございます。青臭くてもいいので、でも今一度、自分の夢についてめちゃめちゃ想像してみようと思います。
是非、3月26日27日28日の3日間ではありますが、公演を観に来ていただけますと幸いです。
前田隆成の予約フォーム
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?