事務所所属につきまして。
おまくら
どうも。本日も一稿のお付き合いを願います。
昨日、「フロム・ファーストプロダクション 1カラット」に所属が決まったことを発表しました。多くの方に「おめでとう」と言っていただきました。嬉しいような少し照れるような。感謝しています。
今日は所属に至った経緯と今後の活動について語ろうと思います。
所属の経緯
4月に上演した一人芝居『世別レ心中』を事務所の代表と専務の方に観ていただいたから。それに尽きると思います。
今回のフロム・ファーストプロダクションの担当の方は、3年前に王子小劇場で上演した「はこづめ」の作品を観ていただいた時からのご縁です。
公演後に所属の話が纏まりそうだったのですが、事務所での俳優の入れ替わりなどタイミングが合わずに所属の話は流れてしまいました。
一度チャンスを頂いた面談でも「また機会があれば是非〜」って感じで終わってしまってて。その後に本格的に上京したら世はコロナで。。
みたいな感じで、どんどん遠のきました。。
そして前回の4月の公演。ここが最後と思ってました。
「前田隆成を発見してもらう」ことに重きを置いて制作さんと相談しました。ブログもそうですし。インスタライブもそう。さらには演劇ライターの方に声をかけてもらったりと新しい繋がりを広げて、「新しい一人芝居に挑戦をしている」ことを発見してもらうために試行錯誤を繰り返しました。
最後の手段として、お世話になった事務所の方や監督に向けて、直筆の手紙を送りました。メールでもなくもちろんLINEでもなく、この時代に手紙。文字の持つ力を信じて、必死に書きました。数日は届いたのかもどうかも不安でしたし、届いても読んで貰ったのかもわからない。ふわふわしている状態のまま、公演が迫ってきました。
手紙の甲斐あってか、お忙しい中、たくさんの方に劇場に足を運んでいただくことができました。そして作品内容も喜んでいただけて上演自体は成功と言える結果を残せました。
公演の後、事務所の方との面談がありました。以前は断られた所属。満を辞しての二回目の面談の日。気づいたら集合の1時間前には到着していました。青山の霊園を散歩しながらあれやこれやを考えて。観て頂いた2人と私の3者面談が始まりました。料理の味もわからないまま話は進んで行きました。
結果「1カラットの俳優を引っ張って公演を作って欲しい」
この言葉をもらいました。最初は驚きましたね。てっきり俳優か創作かのどちらかを選ぶものかと思っておりましたので。願ってもない好条件と言いますか、本当にありがたい限りです。色々やって欲しいことを提案されて、私のやりたい事と、今できる事をお喋りさせていただきました。
すっごい嬉しいです。演劇を作る。新しい仲間を増やして新しい挑戦ができること。いろんな特技や個性を持つ俳優さんと出会い、一から関係性を築いていく。演劇部のようなことが新たにできるのであればそれは幸せですよね。面白そうじゃないですか。ね!ねえ!
今後の活動
第一弾のお披露目は来年の2022年の11月と決めました。
今月には俳優の方と面談をして、劇場も決めていこうと思っております。
バリバリ進む感じがすごくいい。健全だ。劇場日時と人を決めないと書かない習性があるので助かります。決まれば早いです。本当です。嬉しい。
どうかお楽しみにお待ちくださいませ!
余談
今まで事務所に所属してこなかった訳。
してこなかったんじゃないんです。出来なかっただけ。
自分の中でのターニングポイントは『斬、』の映画に出演した時でした。
その時は「斬、」に出たぞ!!って言うことが自慢しているみたいで、ひけらかさない事が良いと思っていました。当時の出会った人も「待ってればいい」と言ってくれた事を鵜呑みにして「声が掛かるだろう」と高を括ってました。結果、痛い目を見ましたね。何も掛かるはずがなかったのです。
それでも当時関わってくれた方々は僕の事を気にかけてくれて、オーディション情報を紹介してくれたり、一緒に観劇してくれたりと、たくさん手を差し伸べてくれたのも事実です。出来なかっただけというのは、チャンスを掴みきれなかっただけ。
それでも、こだわりもあるから、自分の決めたところ意外に入るのは嫌だった。選ぶ立場かよと思いつつ、それでも選ぶ立ち場でもあれよと。反抗的でもありながら、時に事務所に所属するのが偉い訳じゃないとか。ずっとぐるぐるしてました。
そんな風に、2年くらいかな。自分から門を叩かずにいると、どんどん戦う場所がなくなって来ました。
結果、何が残ったかは「自分で作って認めてもらう」しかなかったのです。
事務所で初めてお会いする方とかに「自分でなんでもできて凄いですね」と社交辞令ながらに言ってくれますが、違うんですよ。「最初から選ばれてる君たちのが凄いんだ」と想うんです。皮肉じゃなくね。
自分でやるしか他がないから、やる。それが、相手やタイミングにハマるまでやるしかないんです。20代半ばに差し掛かった俳優ができる足掻き。私は俳優で好きに生きるためには、他に武装してないと勝てないと気が付いただけ。
それが「演劇を作る」だった。
自ら閉ざした門を再び開くのはとても大きくて重かった。
1人では開けない、たくさんの支えがあって今回の門が開いたと強く想う。遠回り、周り道をして来たらこそ見える景色がある。これは断言できる。
想いや期待を全部背負ってそれを力に変えていきたいと想います。
長々と綴りましたが、ここまでご愛読ありがとうございました◎
これからもどうぞ、前田隆成をご贔屓に。