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12/22(金) エッセイストって名乗ってもいいですか? 

12月22日(金)雪。エアコンフル稼働。

昨日も猛烈に寒くて雪だったけれど、今日の方が断然寒い。絶対に在宅にする、という強い意志で自宅から一歩も出なかった。夕方、夫がビールを買いにコンビニまで行ってくれて、感謝しかない。

寒いのは苦手。子どもは「寒い時はたくさん着ればいいけれど、暑い時は何をしても暑いから、冬の方が好きだな」という。わたしは夏の暑さには耐えられるけれど、冬の寒さには耐える気持ちがない。
寒さが嫌いな原因のひとつに、寒冷じんましんが出る体質が影響をしているのかもしれない。昔はプールに入る前に浴びる冷水シャワーでじんましんが出ていた。ので、プールは見学ばかり、今でも泳ぎは苦手。
昔に比べて出る頻度は減ったけれど、それでも年に一回は出る。今日みたいに寒い日は、どんなに防寒をしても太ももあたりから痒くなってくるので、外に出ないと決めている。



ずっと気になっていて、出会うたびにチラチラと立ち読みをしていた『エッセイストのように生きる』(松浦弥太郎/光文社)を先日買ってしまった。普段はほぼ買わない自己啓発ジャンルっぽいな、と思いつつ、読み進めていった。


エッセイとは「秘密の告白」であること、書くために「考える」こと、「読むこと」などが書かれていた。
「エッセイスト」のように生きる=自分はどんな人間になりたいかを考える生き方、だという。

・エッセイとは、情報ではありません。秘密を語った告白文です。

・エッセイとは、いわば感動のレポートです。自分で見つけた発見に自分で感動して、それをレポートとして伝えるもの。

・エッセイに答えはいらない。

・言いたいことは「ひとつ」だけ

・「おもしろくて、楽しくて、役に立つ」

『エッセイストのように生きる』より

書くことーーつまり「考える」ことを、自分のあたりまえにする。これこそエッセイストとしての生き方です。

『エッセイストのように生きる』より

秘密を書くことについて、自分自身(内)の秘密を書くよりも、観察した結果、自分が見つけた秘密(外)を書く方が続く、と書かれていた。内なる感情や過去を掘り下げた「秘密」は、初心者にはとても難しく、感傷的になりがちで自身を傷つける可能性もある、と。
それはそうだな、と思う。感情の動きを書けば書くほど饒舌になりがちだけど、読者にわたしの気持ちはほとんど伝わっていないだろうな、と思う。

書くことは難しい、でも楽しい。
楽しいからって、好き勝手に書き散らかすだけじゃだめだってことが再認識できた。

わたし、エッセイストと名乗りたい。名乗れるようになりたい。
読んでくれる方に「伝わる」文章が書きたい。伝えられるものは何もないかもしれないけれど、ただひたすらに、誰かに読んでもらいたい。



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はころく
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