見出し画像

地面が大丈夫になるための訓練

地面に対して、ここしばらく頑張れている訓練がある。
同行者による『間接的な』地面の汚れは気にしない努力をする、ということだ。

私は母と行動を共にすることが多い。
強迫の症状が一番ひどかった時、電車に乗れなくなった私を母が車で連れ出してくれて、それを繰り返すうちに母と出かけることが私にとっての外出訓練になった。
母との外出は、他と比べて、いくらかハードルが低い。

なるべく母を強迫の「巻き込み」にしたくない気持ちがあり、よほどのことがなければ我慢するようにしている。
巻き込みは本人にとっても家族にとってもあまり良いものではないから、お互いのために、なるべく自然体で過ごしてほしいと私が頼んだのだ。
最悪の場合は、お願いすれば手を洗ったりと協力してくれるので、その安心感がまた私を頑張らせてくれたりもする。

母を見ていると、地面関係のいろいろな仕草が目に入ってくる。
スカーフを地面に落としてしまって拾う、靴の着脱で靴そのものを触る、買い物かごの汚れを確認せず持ってくる、など。
そのたびにヒヤッとするが、「落ち着け、見なかったことにしろ」と自分に言い聞かせている。
あえて目をそらしたり、すぐに母に違う話題を持ち掛けて自分の脳に新しい刺激を与えたり。簡単じゃないけど、なんとか継続している。
以前は、母がそれらを拾った手で私の体や物に触ることが耐えられなかったが、最近は時間が経てば他のことで頭をぼやかして受け流せるようになってきた。(たまに気付かれないように回避行動をしてしまうけど…)

私にとって結構大変なケースのことを書いてみる。
たとえば店の床に落とした後の駐車券。
ショッピング施設では、各店で会計をするときに駐車券を提示し、駐車料金の割引き処理をしてもらうことが多い。
私が自分の買い物で頑張ってレジに並び、さあ会計だと思ったときに、母から「あ、これお願い」と駐車券が差し出されるのだ。
床に接触したと分かっている駐車券を触るのは、私にとっては大ごとである。汚れの伝染イメージが頭を駆け巡って、非常に追い詰められる。
「ごめん、さっきのことが気になるから触れない」と断ったこともある。
だけど今までの経験で私は学習した。
断ったところで、母は自分で店員に駐車券を差し出す。店員がそれを触り、どのみちその手で私の購入品やレシートを触るのだ。
結局、私の買った商品も、財布も、バッグの中すべて、「汚染状態」になってしまう。
会計や品物の受け渡しがすべて終わったあとで駐車券を処理してもらう方法もあるが、店員が先に「駐車券はお持ちですか」と聞いてきたら出すしかない。
細かいことを書いてしまったけど…つまり、いくら回避の仕方を考えても、どこかで限界がきてしまうことを学んだのである。
そして、警戒すればするほど、実際に起きてしまったときのショックと後遺症(観念の引きずり)が大きいことも分かった。
だったら、はじめから諦めて受け入れてしまった方が、心が疲弊せずに済む。
そもそも、そんなに警戒してばかりで、何のための外出訓練なのか…せっかくの機会なんだから頑張れ。と自分に言い聞かせたりもする。
この考えができるようになったのも、進歩だと思いたい。

と、頑張っていることをいい感じに書いたけど
さすがに、トイレの手洗い場でバッグからレジ袋(丸めたもの)をポロッと落としたのを目撃してしまったときは、申し訳ないけど捨てて手を洗ってほしいと頼んだ。

まだ普通のフリができているだけで、頭の中は常に不安でいっぱいだし、母の動きはいつも気になるし、出かける前は「今日はどんなことが起きるだろう」と怯えることもあるけど…
せっかく頑張れているので、今ここに記録しておこうと思った。

そして、母もまた私のために「気を遣いすぎないように」と気を遣ってくれていると思う。自然体でいても、頭の端っこには私の病気のことがあって、やや緊張することもあるのではないかと感じる。
気苦労をかけてしまっているけど、訓練に協力してくれることへの感謝を忘れずに、続けていきたい。

はやく心置きなく母と楽しい買い物がしたいな。