長女という呪いと生きていく
相変わらず、ストグラ観測者として日々を過ごしている私ですが、先日、その中で気になる会話があったので、そこから自分のことを考えてみました。
ストグラを全然知らなくても読める内容なので、気になる方はぜひこのままお付き合いください。
※ストグラとは、GTA5というゲームを元にした架空の街で暮らす人々(配信者が演じるアバター)の日常をYouTubeやツイッチなどで視聴できるコンテンツです。
ストグラの街、ロスサントスで生活している神道まきぴこと、しとまきさん。
私は2ヶ月ほど前から、しとまきさんの配信が好きで、毎日のように視聴を続けています。
しとまきさんがロールプレイしている、まきぴちゃんというキャラクターは、BMCという車のメカニックで働く女の子。
優しくて大人しく控えめではあるけど、時折出てくる天然ボケと、ぼそっと呟く一言が面白い私の推しの一人です。
そんなまきぴちゃんは先日、占いができるという、くるみさんのお店に、BMCのメンバーと連れ立って来店し、2月の運勢と恋占いをしてもらうことになりました。
まきぴちゃんは、この占いに行く少し前から、「グレたい!」と周囲に漏らしていることがあり、自分で自分を抑圧してしまう性格がコンプレックスだと話したりしていました。
そして占いの中で、ずばり、長女であること、「こうでなければならない」という思い込みが自分を苦しめていること、そしてこの概念を外したいと願いながらも、もうアイデンティティーとなりつつあることが指摘されました。
私はこの様子を見ながら、自分がなぜ、まきぴちゃんというキャラクターに惹かれるのかを、改めて理解できた気がしました。
なぜなら、私もまさに、長女という呪いにかかっている一人だからです。
世間的に言う「長女」って、しっかりもの、面倒見がいい、みんなの理解者なんてイメージがないでしょうか?
もちろん例外はあるし、育てられた環境で全然違った感覚の長女もいます。
でも、私はたぶん、いわゆるみんなが思い描く「長女」として生きようとしてきた一人だと思います。
例えば一番下の末っ子の妹は、母に「迎えにきてー」と簡単に言います。
でも、私はそれを、簡単に言うことができない。
そもそも、迎えに来てもらうことが心苦しいので、どんなに大荷物を抱えていても、まず自分で家に帰る方法を見つけます。
それは何も家族に限ったことじゃなくて、夫や友達、職場の人なんかに対してもそうで、迎えに来てもらうとか、何かをしてもらうことが、とても苦手です。
自分は何かをしてあげなくてはいけない立場で、何かをしてもらうことはわがままであるという思い込みが、どこかにあるからだと思います。
別にいいのにね。
年を重ねてくると、その辺も幾分柔らかく考えられるようになってきたのですが、それでも根底にある長女という呪いが、自分をぐっと抑えてしまう時は、多々あります。
例えば、先日、久しぶりに夫婦で行きたいところがあるから、息子を見ててもらえないだろうか?と、家族に持ち掛けたことがありました。
それは、息子が産まれてから初めてする頼み事でしたが、これをLINEするのに何日も悩みました。
もちろんOKだよという答えがすぐ返ってきたのですが、やっぱり少し心苦しいのです。
やったー!行けるぜ、ラッキー!とはならないところが、まさに長女の呪い。
だから、ポンと気安く頼み事を人にする人を見ると、気の強い人だな、すごいななんてつい批判的に思って見てしまうけど、向こうから見たら、何でそんなに我慢してるの?としかならない。
そんな風に物事を受け止めてしまう自分が嫌だと心底思っているのに、なかなか解けない。
長女という呪いは、長い時間をかけて、自分で自分に何重にもかけてしまっているので、強力になっているように感じます。
まきぴちゃんもきっと、ちょっと一歩引いちゃったり、思ったことを伝えられなかったりして、何で自分はこうなんだろうと落ち込んだり悩んだりしながら、そんな自分の呪いを解こうと「グレたい!」と口にしたりしている。
だから、そんなまきぴちゃんが解放されている姿や、楽しそうに友達と冒険を繰り広げている様子を見ていると、私の心も癒されるのを感じます。
もっと自由に生きてもいいって分かってる。
だけど、きっとそれがなかなかできない自分だから気付けること、分かってあげられる感覚、感動できる作品がある。
そう信じて、無理に解くことばかり考えずに、自分はこういう人間だってことを受け止めながら、これからも、長女という呪いと生きていく。
正しくはないかもしれないけど。
私も、まきぴちゃんと一緒に迷いながら生きていきたい。
その中で光り輝く何かを見つけたい。そう思っています。