あなたの未来は大丈夫って言ってあげるね
小さい頃、さつきちゃんみたいなお姉ちゃんになりなさいと言われて育った。
さつきちゃんとは、となりのトトロに出てくるあの、さつきちゃんだ。
明るく快活で、母のいない家を切り盛りし、妹思いで男の子にも負けない、そんな女の子。
私はまるで正反対だった。
朝は起きれない。体が弱くいつも貧血で倒れる。学校は休みがちで、ことあるごとに仲間はずれにあい、大人しくて引っ込み思案で、授業中手を挙げたり、近所の人に挨拶することもままならなかった。
さつきちゃんは、遠い遠い存在だった。
それでも理想には近づきたくて、学級委員に立候補したり、運動会の応援団に入ってみたりした。
でもそんなことをすると、先生に呼び出されて誰かに何か言われたのかとか、本当に自分の意思でやってるのかなんてことを聞かれた。
自分の意思だと伝えると、まるで信じられないという顔で私を見ていた先生のことを、今でもはっきり覚えている。
このままではダメなんだと強く思っていた。私は変わらなくちゃいけないと。
でも、朝起きることは苦手だったし、なかなか貧血は治らなかったし、友達に何か意地悪を言われても上手に言い返すことはできなかった。
なかなか変われない。理想通りにはなれない。小さい私はそんな想いでいっぱいだったように思う。
そんな私が唯一、心の底からなりたいと思ったものがあった。
それは、放送委員。
朝と昼休みと放課後、放送室から流れるアナウンスや音楽が好きだった。放送委員になれば、自分の好きな音楽を掛けられることも知っていた。
だけど、放送委員はみんなの憧れ。当然、志願者は多く、最終的にじゃんけんで決めることになった。
白熱した戦いに私は見事勝ち残り、その席を獲得した。
初めて自分がなりたいと思ったものを、自分の手で勝ち取った瞬間だった。
だけど、
最後にじゃんけんをして私に負けた子が泣き出してしまった。
その子はずいぶん前から、放送委員になりたいと周囲に言い回っていた。
みんなが私の方を見て、泣いてる子が可哀想という空気が漂った。
嫌な予感がした。それでも譲りたくはなかった。
だって、周りに言い回ってないだけで、私もずっとなりたかったから。
でも結局、
譲ってあげることはできる?箱ちゃんは優しいからできるよねと先生に言われてしまった。
箱ちゃんは優しい。
それは、いつも私の長所として取り上げられる言葉だった。何かに秀でてるわけでも、目立つわけでも、容姿がいいわけでもない。すぐ仲間はずれにされるし、馬鹿にされて揶揄われる。だけど、箱ちゃんは優しい。
譲らないと私は優しい人間でもなくなってしまうような気がした。私から優しさを取ったら、何も残らないのではないか。
無力な私は言い返せないまま、黙って身を引いた。
憧れの放送委員には、なれなかった。
理想通りにもなれないけど、なりたいものにもなれない。
そんな遠い記憶をふと思い出すことになった。
ある日の職場で、
そのお客さんはやって来た。いつも不機嫌で、上から目線で嫌な人だ。少し前に対応した時に怒鳴られて嫌な思いをした。自分のミスを棚に上げて、いつもこちら側を責めてくる。
私は作業中で、他の人が対応していた。大丈夫かな?と、ちょっと気になって見ると、やっぱり困っている感じだった。
私と目が合ったその同僚はこちらにやって来て「これ、間違ってますよね」と言った。
そう言われて、お客さんが持って来た書類を一緒にチェックした。確かに間違って入力しているところがあったし、足らない書類もあった。説明して、もう一度書類を揃えて持って来てもらわないといけない。
顔を上げると、いつの間にか私の周りに3人の同僚が集まっていた。みんな私をじっと見ている。
え?と思ったのと同じタイミングで、「お願いしていいですか?」と言われた。
「私じゃ納得してもらえる説明ができないんで」対応に当たっていた同僚が、続けざまに言った。
箱ちゃんは優しいから。
あの日の小学生の私が、まるで映画のおもひでぽろぽろみたいに、すうっと目の前に現れた。
いつもそうだ。
こんな大人になっても、また優しさを盾に嫌な役回りをさせられている。
心がバリバリ音を立てて割れているのが分かった。
それでも、私はお客さんに向かって正当な説明をし、納得して帰ってもらった。
最後に舌打ちをされた。
振り返ると、誰もいなかった。
慣れている。
こういうことばかりの人生だった。
悲しくて悔しくて情けなくて、泣きそうな気持ちのまま、家に帰った。当たり前にしなきゃいけない家事が山積している。
息子が帰ってきて、宿題を見ながら洗濯物を畳んで、洗い物をする。夕食の用意もしなきゃいけない。夫の帰りは遅いし、こういう気持ちを処理する場所がない。
それも、いつものことだった。
と、息子が唐突に話しかけて来た。
「ママ、僕知ってるんだよ」
「なにを?」
「何でドーナツに穴があいてるかって」
私はすぐにピンときた。
息子は歌の歌詞のことを言っている。私の好きなThe Birthdayの「誰かが」の冒頭の歌詞だ。息子は少し前から、この曲を気に入ってよく聴いていた。
「何であいてるの?」私が聞くと、
「おいしいからだよ」息子は答えた。
「美味しいから?」
「穴があいてた方が、おいしいからだよ」
「そうなの?」
「そうだよ。食べやすいし、おいしいじゃん。」
「そっかー」
「チバさんに教えてあげたいね。もう死んじゃったから、教えられないね」
洗い物をする手が止まった。
何て優しいことを言うんだろうと思って驚いた。
あの歌詞を聞いて、自分なりの答えをチバに教えてあげたいと思っているなんて。
我が子ながら感心してしまった。
「じゃあ、ママがあっちに行ったら教えとくね」私は答えた。
「あっちって天国?」息子が聞き返す。
「そう。ママの方が先に天国に行くでしょ?そしたらチバさんを見つけて、教えといてあげるよ」
そう言うと、息子は顔を強張らせて、
「死ぬ話はしないで。こわいから」と言った。
「そうだね。まだまだ先の話だね」と付け加えると、安心したようにニコっと笑う息子を、 私は抱きしめた。
優しい子に育ってる。
それが嬉しくて誇らしかった。
さっきまでの胸のつかえが取れていくのが分かった。
そうだ。
私が私のままだから、この子は優しく育っている。
さつきちゃんにも、放送委員にもなれなかったけど、私はこの子のママになれた。
なんだ、いいじゃん。
大丈夫じゃん、私。
私のままでいいじゃん。
こんな歳になって、初めて自分を許せた気がした。
それに、
泣いてどうにかしようとしたあの子が間違ってるし、私に譲れと言った先生が間違ってる。
お客さんにちゃんと説明できない方が間違ってるし、自分がミスしたくせに舌打ちするなんて失礼だ。
私は悪くなかった。
ずっと間違ってなかった。
私のままで良かったんだ。
変わらなくたっていい。
このままでいい。
息子を抱きしめながら、その優しさに包まれて初めてそんな単純なことに、やっと気付いたような気がした。
みるみる力が湧いてくるような、明るい気持ちが戻ってきた。
それから、2人で笑い合って「誰かが」を一緒に歌った。
重なる歌声が、ずっと心を塞いでいた雲を晴らしていくようだった。
こんなに優しい歌を親子で歌えるなんて幸せ以外の何ものでもない。
今なら言える気がする。
あの日の小さな私へ。
色んなことがあるけれど、
あなたの未来は大丈夫だよって。