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あの冬に戻る
時たまにフォルダを漁って過去に戻る作業をしている。
今日は数年前。冬だった。
大学に居た頃の好きだった実況者のファンアート、同級生とのくだらない日常の写真、夕日に照らされると何故か哀しげに見えた校舎。地元と対して変わらない積雪量なのにテンションが上がって撮ったものや、映画好きの同居人とふざけて撮った動画。
根っからオタクでインターネット住民だったことがモロバレしそうなレベルではファンアート保存が多いのに苦笑しつつ、久しぶりに見た同級生たちにほんの少しだけ安堵する。
大学で、本格的にメンタルがやられたことを思い出す。
クラスの人間とあんまり上手くいってなかったなあ。どっちも悪くないし、どっちも悪かった。
それでも完全崩壊せず、なんとか死なずに生きてこれたのは共に学生寮に住んでいた友人たちの存在だった。
入寮早々ついたあだ名は『ママ』。いやスナックかいな。18やぞ。
後日つけた本人に聞けば「え、ママだから……」となんとも納得いかないご回答が返ってきた。その後も、なんなら今の今までママと呼ばれ続けている。いいけどね。
部屋替えが何度があり、同居人だったのは2人。
2人1組の部屋で初めて一緒になった同居人は生活リズムが合わず。
次に同居人になった子とはその時から最後の最後まで同じ部屋だった。
というか同じ部屋にした。寮長権限で。
メンタルカス人間に寮長やらすな、と今なら言いたいところだが、当時はそんなことを言う勇気は無い。1年の7月からというとてつもない出世スピードで寮長になることになったのだから、これくらいの事は許してくれと言いながらその子と同部屋を組み続けた。
情緒不安定だったこちらとは違い、常に一定。余程機嫌を損ねるようなことが無い限り悪態をつくこともレアな類稀なる同居人。
常に映画を見ていたことが印象に残っている。
スマホで契約したサブスクでも、中古DVDを買ってきてパソコンでも、とにかくずっと映画。洋画邦画アニメなんでも。とにかく物語に触れていた人物。
こと気に入ったものや、意見を求められる(といっても感想程度)ものは一緒に見せてもらっていたりした。
深夜3時からのレイトショー。
壁の薄い古いおんぼろな学生寮では喋り声すら貫通するため、ひっそりとそれは行われていた。
レイトショー以外でも勿論一緒に映画を観ることはあった。
その中でも一際覚えている上映会がある。
土曜日、同居人が「今日はバイト休みだし」と始めた夕方映画館。洋画だと教えてもらった時、英語が苦手で敬遠している……と伝えれば、「大丈夫、見れる見れる」。せめて吹き替えで、と頼んだものの結局は字幕だった。
だがそれは観ているうちに大正解だった事にひどく感謝することになった。
AIだかロボットだか、そんな感じの強めな機械たちが人間のように暮らしている世界。その中に迷い込んだ男の子の話……だったはず。途中、主人公の男の子の相棒的なポジションだったロボットが敵に捕まるシーンでの台詞が好きだった。上手くは思い出せないが、amとwasの使い方に痺れたことだけは覚えている。
I was born.I am born.
だったかな。逆だったかもしれない。
もう随分あやふやだが、この映画のラストシーンで同居人がぽつりといった「映画で泣いたの、はじめてかもしれなかったんだよね」が忘れられない。
一度もう既に視聴済みだったらしく、その時は号泣したと話してくれた。
「2回目だけどうるっときた」
感情の起伏が大きくない同居人が涙しているところを見たのはこれが最初で最後だった。
友人たちとは偶に連絡を取りあっている。
みんな日本各地で自らの生活を謳歌しているようだ。
何もしなくとも情報が入ってくる、インターネットが普及した時代でよかったなあと思う。
あの頃に戻りたいと思うことがある。
それは楽だったからとか、そういうことじゃなく。
あの頃。
ママと呼ばれ、良き同居人と共に映画を観ていた日々。
あの瞬間に戻りたくなる。
狭い六畳、今の自分なら何を思うだろう。
映画でも見ない?なんて、今度はこっちから誘えたりするかもしれない。