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[短編小説]かまいたちと発電

 近頃、かまいたちが出るようだ。とくに風の強い日に、隣町や団地のあたりに出るのだという。かまいたちはむかしからあるものである。子供のころは、よく小さな傷をつけられては痛い思いをした。
 かまいたちがはたしてどんなようなものなのか、考えてみれば、切られたことはあるのだが見たことがない。どういうわけか、かまきりのような顔をしているつもりでいるが、それはこちらが勝手にそう思っているだけのことで、ことによれば鯉のような愚鈍な顔をしているかもしれない。かまいたちというからには鎌を持っているだろうが、それもどうだかわからない。鯉のような愚鈍な顔立ちのものが、バタフライナイフやピアノ線を持っているとも限らないのだ。
 かまいたちというのは、風そのもののことであるというようなことを言うものもいる。床屋に行くと、見知ったような、見知らないような顔がそんなことを話している。
「風そのものだってね、そういうことを聞いたよ。だって、目に見えないっていうじゃない。なら、どうしたって人ってことはないだろう。動物でも同じだね。動物や人なら見えるんだから、見えないってことは、つまり風なんだよ」
 風だとすれば、どうして人や物が切り刻まれてしまうのか。話を聞いていると、そのあたりの答えはずいぶんあいまいなようである。
「だから、そりゃ、速さの問題だろうよ。ぴゅーっと鋭い風がふきゃ、そりゃ切り刻まれるってこともあるだろうよ」
 たしかに、かまいたちは風の強い日に限るようだ。そういえば、隣町は海に沿っているのでいつでも風が強い。団地でもよく出るということだが、それもビル風のせいということなるのだろうか。
「だがね、ある学者のいうことには、金属の破片だということだってね」
 誰かがそんな風に口をはさんだ。
「だからね、風なことはたしかだけどね、そうはいってもただ風で切り刻まれちゃうっていうんじゃないよ。それじゃ、危なくって出歩けないじゃないか。風は風でも、風に金属の小さな破片が飛ばされてくるっていうのさ。その金属がずいぶん鋭いものだから、切り刻まれちゃうんだよ」
「といったって、そんな金属がどこから飛んでくるっていうんだい」
 周りは不満そうである。
「いやね、それがわからないから困るんだがね。どうやら、外国のほうからということだよ。このあたりは湾になっているから、外国からの風が集まって、そんな金属の類なんかも集まってくるっていうことのようだけどね」
 こちらの話も、はっきりしているようで、いまいちはっきりしない。

 春を過ぎたせいか、かまいたちの犯行が高度化してきた。
 むかしは、かまいたちに切られればすぐに気がついたものだった。ちくりとさすような痛みがしたと思うと、手の甲や足の脛から血が出ている。周りには何もないのだが、風が少し渦を巻いたようにどこかへ走っていく。かまいたちが出ると、そのあたりにしばらくうろうろしては、手当たり次第に切り刻んでいくのである。かまいたちが行ってしまったあとには、あたりの家の塀や街路樹に、小さな傷が数えきれないほどについていた。
 それが、近頃は少し違っているのだという。妻の話である。
「すごい切れ味で、小さな街路樹なら倒していってしまうようよ。それに、切られた人もあまりに切れ味がするどいっていうんで、しばらく気づかないそうね」
 剣の達人のようである。切られたことに気がつかずに家に帰ったりすると、脇腹のあたりがぐっしょりと血糊でぬれている。本人はそれまで平気な顔をしているが、家族に知らされたりしてようやく気がつくという。うそのような話だが、たしかにそれまでは痛くもなかった、とかつての教え子も言うのである。
「それがすこしも気がつかないんですよ。あんなふうに派手に切られてりゃふつうは気がつくものですがね、それがすこしもわからない。どうしてって、そんなことはわかりませんよ。こっちは切られた側ですからね、相手に聞いてくださいよ」
 たしかに、ずいぶんな切れ味のようである。
 街路樹が道路に横たわっているのを度々見かけるようになった。きれいな切り口で、少しもささくれがなく、まるでもとからこんなようにふたつにわかれていたかのようである。これでは街路樹も切られたことには気がつかないまま、無自覚に倒れてしまったに違いない。

 梅雨に入ると、いよいよかまいたちの犯行が極まってしまった。全く完全な犯行ということになって、人をふたつに割ったのだが、その人が相変わらず生きているのだという。信じられる話ではなかったが、叔母もその犯行にあっている。
「なんといったってね、すこしも痛くないのだから驚くじゃない。切られて気づかずに、その間に痛くないっていうならわかるけどね、気づいてからだってすこしも痛くないのよ。まるで、わり箸をきれいに割ってしまったようなものね。今じゃ、もともとふたつだったんだって、そう思うのよ」
 本人の顔を見ると、たしかに異常はないようである。とはいえ、高齢の叔母のことだ。心配をして、医者をしている妻の弟に相談した。
「そりゃ、一体性の問題じゃないかねぇ。つまり、人間の一体性というのはどんな風に担保されているかっていうことさ。たとえばね、腕を鉈で落として、放っておけばそれは腐っちゃうけどさ。それはつまり、腕っていうのは体と一体性があるってことになるよ。ただね、まっぷたつになってもそれぞれ生きているっていうなら、そりゃ、それぞれで一体性を持つってことだからね。だから、そうなったのなら、それに越したことはないだろうと思うね。だって、やっと真の一体性を手に入れたってわけだろう」
 よくわからないが、心配はないようである。
 とはいえ、年寄の一人暮らしがふたつにわかれたのだから、きっといろんな不便をするだろう。そう思って訪ねてみると、どうもそういうわけでもないようで拍子抜けをする。
「働き手が倍になったんだから、そりゃ楽だよ」
 叔母は内職で生計を立てている。上下でふたつになっては内職もままならないと考えていたが、反対に、一層精を出しているのだという。ふたつに分かれた下のほうも、器用に足指をつかって内職をしている。ひといきに倍の仕事ができるようになって、ずいぶん生活が楽になったようだ。
 町のものも次々かまいたちに切られている。
 団地ではほとんどのものが切られてしまったのだという。たしかに団地のあたりを通りかかると、足だけが歩いているのをよく見かけるようになった。叔母の話では働き手が倍になったということだったが、ここでもまさしくそういうことがおこっている。
 団地に住むのは会社員ばかりである。体と頭のほうは当然仕事に出るのだが、机に向かう仕事である。足のほうは要らないというので、会社まで体を送っていくと足は帰ってくるのだという。それで何をしているかというと、発電である。一日中、自転車をこいで発電しているのだという。ひとりの足ではたいした発電量でもないようだが、とにかく数が多いので、山となる。団地のものはほとんどがふたつになってしまったようだから、その発電量も馬鹿になっていない。電気料金はどんどんと下がっていくうえに、街もやたらと明るくなった。ついに来月からは、隣町にも電気を売るのだという。
 ところで、やはりかまいたちの正体はわからないようだ。どうしてもかまきりのような顔をしている気がするが、それは想像でしかない。この調子では、じきにわたしもふたつにされてしまうかもしれない。そうなったとしても、もうずいぶん歳をとってしまっている。発電するような筋力も残っていないから、そのときには叔母の内職でも手伝おうかと思うのである。

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