【コラム】 足るを知る
先日のnoteであんなテーマを扱ったばっかりに....
文章を書くことへのハードルが上がってしまっている気がする...
そんなのは自意識過剰だと自分に言い聞かせて、またパソコンの前でカタカタと文章を綴ってみる。
前回実際にnoteを投稿してみると、思ったよりも多くの知り合いから反応があった。やっぱりなかなか会えてない友達から連絡をもらうと嬉しいし、意外と思ったことを外部に発信してみるのもいいもんだなと。
友達と近況報告をしていると、多くの同世代が大なり小なり自分自身のキャリアや生き方に対して疑問をもったり、立ち止まって振り返ろうとしているのを感じる。
「何かに対して行動を起こす原動力ってなんだろう。」
ふとそんな事を考える。
○○が好きだから。もちろんそれに勝るものはないと思うし、それで動ければ一番じゃないか。
だけど、僕自身そうであるように何が好きなのか、何が得意なのかパッと思いつかない人は多いし、考えれば考えるほど深い思考の沼にはまって分からなくなる。
僕自身転職した身ではあるのだけれど、決断するまで上で書いたような事を永遠と考えていた。
そんなタイミングで何かの本で「なりたい姿を想像する」という言葉を目にして、そんな発想もあるのかと思った。(どこで目にしたかはもう覚えていない)
憧れる
要するに
What I want to do(何がしたいか) じゃなくて
What I want to be(何になりたいか) なんだと。
こう書いていると転職サイトに誘導するアフィリエイト記事みたいになって胸糞悪いのだけれど、転職に関して偉そうに語るつもりはないし、そんな文章を書きたいのではない。
ただ単純に、行動力の源泉には"好き"ではない『憧れ』というものがあるんだと気づかされた。
・アラブの富豪になって、虎を飼いたい
・海辺で暮らしたい
・一生友達とホッピーを飲んでいたい
・家族とのんびり暮らせる庭のあるマイホームがほしい
そんな脳裏に浮かぶ「こうなりたい」は誰しも何かしらはあるんじゃないだろうか。
そうしたイメージはどこからくるのだろう。
僕ら世代はスマートフォン片手にSNSで近況を上げるのが当たり前の生活を送ってきたので、他人の生活を覗ける環境に身を置いてきた。
そんなだから”こうなりたいイメージ”は視覚的にダイレクトに流入してきて、そのまま脳内に投影されている。ので、錯覚することが多いと思うのだけど、それは本当に『憧れ』だろうか。
僕は『羨望』だと思う。羨望と憧れの違いは何だろう。
憧れと羨望
字面だけだと、何となく羨望には嫉妬の気持ちが入ってるようにも見えるけど明確な違いはわからない。
そもそも羨望なんて言葉、この文章を書くまでは使ったこともない。
三省堂出版の大辞林によると
憧れ・憧憬:理想とするものに強く心が惹かれること。
羨望:うらやましく思うこと。
と書かれている。今度は「うらやむ」で引いてみる。
羨む:他人が自分より恵まれていたり、優れているのをみて、自分もそうなりたいと願う。また、自分が他人ほど恵まれていないのを不満に思う。
なるほど。最初の推測はあながち間違ってはいなかった、意外とやるじゃん。俺。とほくそ笑む。
つまり、2つとも”こうなりたいイメージ”にむかう気持ちが含まれているが、それが”自分より恵まれている境遇にある人”を思うのか”自分の理想”に思うのかという違いがあるという解釈でいいのだろう。
ここで、僕の好きなアーティストが最近出していたPVを思い出した。(ここまでの一連の流れはこのPVをみて発想したという事は内緒だ)
このPVには二人の女性が出てくるのだが、二人は地元の同級生だが大人になった現在は全く違う境遇にいる。
一見、片方が恵まれていて華やかな世界にいるように見えるのだけれど、実は自分自身にしか分からない境遇・想いを抱えていて、お互いにお互いの事を羨ましく思っている。という内容になっている。
これを見て、現代に生きる多くの人々が、こうしたSNSのしがらみを抱えているというのを強く感じる。
SNSで見える他人の生活や環境は表面的な部分が多くて、そこからダイレクトに受容する自身の"こうなりたいイメージ"は、憧れではなく羨望なんだ。
足るを知る
ここで冒頭の方に書いた”こうなりたいイメージ”すなわち『憧れ』はどこから来るのだろう、という疑問に立ち返る。
僕はその答えは、自分自身の内面を深く繊細に紐解いてこそ見えてくるんじゃないかと思う。
わたし・僕を形成するものは何なのか?
幼少期にどんな体験をしたか。どんな環境で育ったか。何が嬉しかったか。
誰と何をしている時が楽しかったか。どんな事に悔しさを感じたのか。何に対して傷付くのか。
そんな経験・思考を掘り返してこそ自分のなりたい姿は見えてくるんじゃないかと思う。
中国春秋戦国時代に哲学者であった老子が書物『老子』の中で書いた有名な言葉に【足るを知る】というものがある。(【知足者富】に由来)
一般的には、「身分相応に満足することを知りなさい。」という意味でつかわれることが多いけれど、実は
「自分は何を持っているのかを知ることが真の豊かさに繋がる。
本来の自分を知るものは永きに渡って栄え、志は残る。他人に目を向けるよりも、自分の内面に目を向けなさい。」
という解釈もできるらしい。
血で血を洗うキングダムの時代にこんな聡明な人がいたとは!
話は逸れるけれど、よく、一人旅と言うと「自分探しの旅」と揶揄されることがある。
僕自身「一人旅に行く」と言ったときにかけられるこの言葉は、なんだか馬鹿にされているようで嫌だった。
でもこうして考えるとあながち間違った表現じゃないのかも、なんて思ったりする。
旅の中でどんなものと触れ合うのが好きか。何に感動を覚えるのか。そもそも一人の時間は好きなのか。
この、情報過多、どこにいても誰とでも繋がってしまう時代だからこそ、
他人に目を向けるのではなく、自分自身の内面と素直に向き合い
「足るを知る」
ことで、自分の憧れの姿が見えてくるんだろう。
それが見えれば、あとは行動を起こすだけなんじゃないかと思う。
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