しあわせの風景
小さな窓から注ぎ込む日差しが眩しくて、思わず目を覚ます。ベッドの脇に備えつけられた出窓は南向き。ここから日光が降り注ぐ、ということは、今日という一日も半分が過ぎつつある、ということ。
傍らで休む彼は相変わらず締まりのない寝顔を浮かべている。パリッとアイロンをきかせたシャツを着こなしネクタイは程ほどに締め、しわ一つないジャケットを羽織って朝この部屋を笑って後にする彼は、あれだけ透き通っていて、それだけ決まっているというのに、眠りについたときのこの顔といったら。ワタシしか知らない彼のこんなギャップにまた愛おしさを覚える。
サイドテーブルには彼が置きっぱなしにしたのだろう、ほとんど空になった水差しと飲み止しのグラス、そして灰皿が一つ。タバコが好きなくせに「一服したあとの口の中は嫌になるほど気持ちが悪い」そう言ってゴッソリ洗い流すように何杯も何杯もグラスに水を注いでは飲み干す。タバコを吸わないワタシにはまったく理解ができない、彼の変わった癖だ。
いつもと同じ、変わり映えのしない目覚めの風景。いつもより少しだけ夜更かしをして、いつもより少しだけ酒におぼれて、少しだけ彼に甘えて寝入った、そんなしあわせな7月の朝。
昨晩はよく飲んだのだった。珍しく早い仕事上がりで、ダイニングで彼と顔を合わせたのが午後9時。似た者同士のワタシたちは考えることも似通っていて、お互い左手には近くの格安スーパーの袋を提げている。彼の袋の中身はセロリと人参、トマト缶に牛挽肉。こんな時間からパスタのラグーソースでも仕込もうとしているかのような彼の買い物の収穫に、ワタシは思わずクスッとしてしまう。
「何笑ってんの」彼は口をとがらせて食いかかる。きっと考えていることが見透かされたようで悔し恥ずかしってところ、そんなワタシもヒトのことなんて笑えない袋の中身。彼とワタシのレシピを組み合わせれば、なかなか良いコラボになるんじゃないだろうか。
そんな彼はそっぽを向いて、黙々と冷蔵庫へ今日の戦利品をしまいこむ。セロリは葉を除き、玉ねぎは常温庫へ。食材をしまうとき、その性格はあからさまに表れる、ワタシはそんな風に思うけれど、彼のマメでマジメな性格は今このときに真価を発揮している。
後ろからおぶさって彼にそっと囁く。「どこか飲みに行かない?」
彼は重そうな表情を隠そうともせず「こんなに買い込んだのに?」ムスッとした様子で応える。「あした一緒につくろうよ」
渋々といった面持ちで彼は立ち上がる。「おごりね」
そんな顔をして実は乗り気だってこともワタシにはわかってる。「前から気になってた、あの店行ってみようよ」
「よし。店まで競争だ」そう言い切るや否や、彼はソファーに投げ掛けたジャケットを肩に掛けてそそくさと靴を履く。ワタシもワタシ、遅れまいと放り出したバッグを持ってサンダルをつっかけた。
午前2時。予想を遥かに超えて遅くなった帰路。初めて入った小ぢんまりとした近所のバーは、ビールの種類もさることながらお腹を満たす大皿料理も豊富で、思わず長居してしまった。彼もワタシも大のビール好き。二人で飲むと尚更そのペースは速くなる。それなりにグラスを空けてもまったく表情に出ないワタシとすぐ紅くなる彼。それでも酔い始めるペースすらほとんど同じ、今日も彼はワタシより2杯多く飲んでいた。
右腕に彼の左腕を感じる。腕を組むでも手をつなぐでもなく、きっと赤い糸でつながっているわけでもない。でもワタシは彼の体温を傍らで感じるときに、確かに「ツナガッテイル」瞬間を感じる。右足を踏み出す度に微かに触れる右腕がくすぐったくて、いつもワタシは彼の左腕に抱きついてしまう。
引きずられるように坂道を上ると、南向きの出窓が見えてくる。目隠しも何もない窓からは、部屋の玄関灯が闇にまぎれてあいまいな光を発しているよう。
―今日はこのまま二人でベッドに倒れこもう。おフロにも浸らずシャワーも浴びず、化粧も落とさず彼の腕の中でゆっくり眠りに落ちよう。 ワタシはそんなことを思った。
「今変なこと考えてたろ」くずれた目尻を見やって彼は呆れた口調でそうつぶやく。似た者同士の彼にそんなことは当然お見通し。でもきっと彼はそんなワタシをちゃんと寝かしつけて、いつものようにため息をつきながらベッドに腰掛けて一服するんだろう。
カンカン、カンカンと鉄骨の外階段を叩く音が深夜のアパートに響きわたる。千鳥足のワタシたちが奏でるリズムもやっぱり不規則。すがりつくようにドアノブに手をかけ、玄関口へとなだれ込むんだワタシは、いつものように彼に抱きかかえられてベッドについた。
大きく東へせり出したベランダに降り立ち、全身に陽の光を浴びる。自分のカラダがみるみるうちに透き通って、あっちからくる光とこっちからくる光が体内で衝突している感覚。思いっきり背伸びをして、できるかぎりたくさんの光を受け止める。
ふと振り向くと、彼も彼で起き出す気配もなく出窓からの日差しに注がれて、まるで太陽に包まれているよう。
ワタシは両の人差し指と親指でファインダーを作る。お手製のカメラ。彼の全身を閉じ込めようとすると、ワタシの人差し指と親指は離れてしまう。レースのカーテンが風に靡いて被写体に影を残している。
この写真に名前をつけるならどうなるだろう。ありきたりだけど、他の表現は思いつかない。ワタシの指に映された、夢見る彼の姿。
しあわせの風景。
しあわせの風景/Every Little Thing
なんだか幸せそうな香りがプンプンする楽曲ですよ。
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