「仕事」と「稼ぐ」を考えてみた
こんにちは。第82号は、
最近、「展職」を経験され、東京でバリバリと活躍される堀川さんからバトンを受け取りました、1年ぶり2回目の竹田敬介が担当させて頂きます。
実はこの2年間は私にとって人生でも指折りの大きな変化があった期間でした。
1年前に「ぷろぴのひろば」に初めて投稿させて頂いた頃は、それまで勤めていた大企業を退職、単身赴任を解除して、東京から静岡に戻った頃。キャリアコンサルタント資格を取得したり、3rd placeの皆さんとの交流が始まったのもこの頃でした。
それから1年後、2022年10月にTEAM FORWARDという会社を立ち上げ、自分で事業を開始しました。今はちょうど1ヵ月が過ぎたところです。
実は「独立」という選択をしたことは自分でも予想外でした。理由は、「父と仕事」にあります。
私が中学校に上がる頃、父は個人事業主となり、新築したばかりの自宅の裏に事務所を構えました。屋号を考えたり、オフィス家具を購入しに行ったり…というところから立ち上げの場面を見ていました。それから、自宅裏が事務所だったので、父の働く姿をずっと見て来ました。朝は早く、私が受験勉強を終えて寝ようとすると、まだ明かりがついている。そんな日々でしたが、決して裕福ではありませんでした。「お金を稼ぐってこんなに大変なんだ…」という印象が強く残りました。
私は一緒に仕事をする人達から「ストイック」と言われることが多いですが、きっと仕事の原点となる記憶がこういうところにあるからでしょう。
大変な姿をずっと見てからこそ、自分は選ばない道だと思っていたのです。
しかし、意外にもというべきか、当然というべきか、
「自力で稼ぐ」ことは、社会人になってから常に重要な価値観であり続けました。
営業職で入社した最初の歓迎会で、当時の支社長に「僕は月にいくら売上を上げれば、この会社にいる価値がありますか?」と質問しました。こんな新入社員は珍しいのではないでしょうか。
次第に役職が上がり、収入はどんどん増えていきました。ありがたいことですが、私は次第に居心地の悪さを感じるように。組織が大きく、分業化されている中では、自分の仕事によって生み出している価値が果たして収入に見合っているのか、全く分からず、収入にリアルを感じられなくなったのです。上司や役員の評価ひとつで変わる役職やそれに合わせて変動する収入は、自分の中の「稼ぐ」とはかけ離れたもののように感じました。
実は、1年半前に大企業からベンチャー企業に転職した際に、年収は1/2以下になりました。半分は不安でしたが、もう半分はスッキリした気持ちでした。それは、成果報酬型の給与制度だったからです。ずっと1/2以下のままでは辛いですが、成果に見合った報酬を頂くのが分かりやすくて気持ち良いと考えました。転職先の社長からも再三心配されましたが、「それで稼げないなら元々その程度の実力だったということなので大丈夫です」と回答し、笑われた記憶があります。
こうやって書き進めていくと、冒頭に「予想外」とした独立という選択は、いずれ来るべき結果だったような気もしてきました。アウトプットって大事ですね。
いよいよ、会社の看板が無くなり、本当に「自力で稼ぐ」生活がスタートしました。そこで感じるのは、世の中の会社ってすごいということ。
社長が全然オフィスにいなくて何してるのか分からない、とか
上司が全然働かない、とか
よく聞くようなグチも「そこまで仕組みが出来上がってるのがすごい」と思うようになりました。
大企業にいた時に当然のようにあった各種手当や福利厚生、一体どこからそんなお金が出てきていたんだろう?と魔法のようにすら感じます。
ここから数年、濃密な時間と自分への大きな変化が訪れるであろうことはほぼ確信しています。足元を見れば心配や不安だらけですが、
一歩外に出れば
「竹田さんの判断を応援してますよ」
「竹田さん何が出来るの?ちょっと相談しても良い?」
などと、予想以上にお客様から期待、応援を頂いていることをひしひしと感じ、それに応えなければならないという使命感が背中を押してくれる毎日です。
最後は、個人事業を25年続け、二人の子供を育て上げた父への感謝の言葉で締めたいと思います。
時代が変化し続ける中で、25年間事業を継続し、家族を養い続けてきたのは尊敬の一言。立ち上がったばかりの私には到底想像出来ません。
これも、独立しなければ気づかなかったコト。
ありがとうございました。
次号、第83号は、
womanプロティアンの代表であり、企業の第二人事部としてもご活躍されている水藤さんのご登場です!どうぞお楽しみに。