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「あ!」の瞬間を求めて
土曜日の朝、少し遅めに目が覚めたと思ったら、昼前だった。
家族はみんな出掛けているようで、テーブルに取り残された朝食を見つめていたら、ふとこんなことを考え始めていた。
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日々の生活の中で喜びや楽しみを感じるのは、自分の中で何かがつながった時なんだなと思う。
これまでに見たもの、聞いたこと、読んだものなどが、「ああ、この瞬間のためにあったのかもしれない」と感じられた時になんとも言えない気持ちになる。
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昨年購入した独立系の雑誌の1ページで見たカレーライスの写真、職場から少し歩いた先にある小料理屋で先月食べた牛めし定食、早稲田通りの古本屋で買った小説。
意図しないできごとを通じて、自分が本当にやりたかったことは何なのか、食べるとはどういうことなのか、本を読むことの意味はなんなのか、みたいなことがストンと腹落ちしてしまった。
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先日数年ぶりの元同僚たちとの同窓会でこの話をしたところ、その中の一人は、この感覚に『「あ!」の瞬間』と名付けているそうだ。
ある日、彼がバイクに乗っている時に、「これが風なんだ!」と感じた瞬間があったのだという。
彼にとっての風は、ぼくにはわからないけれど、「あ!」を感じた瞬間のその感覚はわかる、というのが楽しい。
そして、その感覚に、奥さんと二人で『「あ!」の瞬間』と名付けるとはなんたるセンスなんだ。
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ぼくがプロデュースという仕事をしているのも、写真を撮るのも、『「あ!」の瞬間』を一人でも多くの人と分かち合いたいという願いがあるんじゃないかと思う。
言葉にするとそういことなんだと思う。
一方で、毎日いろんな人と接して、いろんな情報を吸収していると、自分の中のベーシックな部分ですらわからなくなるというか、麻痺していくこともある。
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自分の中で『「あ!」の瞬間』を感じること、そしてそれを表現することはもちろんのこと、他の人が感じた『「あ!」の瞬間』を教えてもらうことに、これまでにない興味を持っている。
この感覚が誰かに伝わるとよいなあ。