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【蘭英紀行6】ロンドンの地下鉄にはSLが走っていた!

 このシリーズで、ロンドンの地下鉄で使う「Oyster」カードのことを書いた.今日は、地下鉄にSLが走っていた、というちょっとあり得ない話だ.

 蛇行しながらドーバー海峡に注ぐテムズ河、そのまわりに拓けてきたロンドンであるが、そこを縦横無尽につないでいる大動脈が地下鉄だ.世界でもっとも古く,なんと最初に開通したのは1860年代、日本でいえば幕末の頃らしい.いうまでもなく,産業革命,蒸気機関車,鉄道など大英帝国のビクトリア王朝を象徴する世界最先端の技術だ.

 余談をひとつふたつ.地下鉄は「underground」あるいは「subway」(米)というが、イギリス人は親しみをこめて「tube」つまりチューブとよぶこともある.まさに「筒」のような地下空間を指しているからだ.

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 (この写真はロンドン中央部の東西を結ぶ地下鉄セントラル線「Queensway」で撮ったものだ.プラットフォームもトンネル内も準円筒状.)

 明治のはじめロンドンに留学していた日本人は地下鉄のことを「地下筒」と表記しているが、「チカツツ」と発音したのであろうか.そうだとすると、なんだか、秋田や山形の言葉のようで親しみがありますな.

 さて、地下鉄というものをはじめて導入したころの話だが、なんと蒸気機関車,つまり石炭を燃やして走る、「鉄キチ」には垂涎(すいえん)のSLが地下トンネルを走っていたのだ.鉄道列車が市内中心部で地上から地下へ潜って行ったという、まったく信じがたい話だ.シャレではないが、まさに煙に巻かれたような話だ.

 地下筒のなかは煤だらけ、ロンドンの紳士淑女もたまったものではなかったろう.外に出れば、とくに冬場ともなれば、ロンドン特有のスモッグ ーー ストーブから排出される石炭の煤煙がテムズ河面からの冷たい蒸気で凝結したもの ーー が迎えてくれる.どこに行っても煤、灰だらけだった、ということになりそうだ.

 英国人もなかなかストレートで少々アホですな.ちなみに電車が地下を走るようになってからは、「地下鉄道」にかわって「地下電気」と云ったらしい.たしかに漱石の日記にはこの言葉がでてくる.彼が暮らした明治33年~35年ころには、少なくともロンドンの中心部は電化されていたようだ.

 ロンドンで生活をはじめた翌年の1月28日の日記に、

下宿ノ妻君モ妹モ Twopence Tube へ乗ツタコトガナイ 下女ハコノ家ノ周囲ヨリ外(ほか)何モ知ラナイ  外国ニモ斯(かく)ノ如キ者ガアルカラ我々ハ彼等ヨリ余慶(余計)倫敦(ロンドン)ヲ知ルト云ハネバナラヌ 万歳

とつけている.勝ち誇った漱石の声がきこえるようだが、ここにある「Twopence Tube」とは運賃が2ペンスであった「セントラル」ラインのことだ.2ペンスは当時のレートで約10銭、いまの千円くらいか、古書買いマニアで慢性金欠病に罹っていた漱石にとって、また大多数のロンドンっ子にとっても、決して安い乗り物ではなかったにちがいない.

 さてさて日本で地下鉄が走ったのは昭和のはじめころのようだが、そこにSLを走らせたなんて話もちろん聞いたことがない.どうやらアホな先発がいてくれたおかげかもしれませんな.(おしまい)