コピーライターが考えたnote的プロフィールの書き方
noteには、好きな記事をプロフィールに設定できる機能があるので、やってみることにしました。
もしかしたらプロフィールの書き方に困っている人がいるかもしれないし、もしかしたら参考になるかもしれないし、もしかしたらスキと言ってもらえるかもしれないので、生意気ながら、ちょっと偉そうなタイトルにしてみました。
自由に書いていいからこそ難しい!という方におすすめしたい書き方です。
その方法は…
「自分らしいと思うエピソードをとにかく書く」
テキストを中心にしたメディアプラットフォームであるnoteなら、きっと読んでくれる人がいます。
思いついたこと、いっぱい書いちゃえばいいと思います。
ということで、以下が僕のプロフィールです。
<概要>
氏名:北田 一喜(きただ かずき)
肩書:文案ディレクター
生年月日:1982年10月17日
血液型:O型
大きさ:169cm
必需品:メガネ
<経歴>
1982年 大阪に生まれる
頭のサイズがかなり大きく、毎週病院に行き、メジャーで計測してもらう。
1987年 奈良に引っ越し、帯解幼稚園に入園
野菜が嫌いで、お弁当に入っている野菜を食べないで済むように、わざと床に落とすという策を編み出し、教諭を困らせる。
1989年 帯解幼稚園を卒園し、満を持して帯解小学校に入学
3年生のとき、好きな女の子に順位をつけたことで、2位の女の子を泣かせてしまい、慌てて1位と2位を入れ替える。人を好きになることの難しさを知る。
5年生のとき、生徒会副会長に立候補するも落選。6年生になって再挑戦し、当選。会長ではなく、副会長という立場が自分には向いているような気がする。
1995年 順調に小学校を卒業して、清風中学校に入学
1年生の冬、男子校に入学するという選択が人生において良くも悪くも大きな分岐点になるということを、前もって誰かがきちんと教えてくれれば良かったのではなかろうかと、情報化社会の穴に指を突っ込んで、2度3度指をグリグリする。
1998年 中高一貫校のため、そのまま清風高校に進学
近くの女子校の文化祭に行き、ただただ己の不甲斐なさを感じる。
2001年 浪人生になる
大阪大学を受験するも、何らかの理由で不合格となる。
清風高校を卒業し、大阪予備校に入り、高校のときからの友人と相変わらずな毎日を過ごす。
月に1回刈り上げにする習慣がなくなり、頭髪の自由をもてあます。
2002年 京都大学工学部建築学科に入学
好きな大学に入れて、喜ぶ。
2003年 京都大学法学部に転学部
知りたい欲に任せて学部変更をしたことで、自室の本棚があるべき姿になる。
2006年 お笑い芸人の養成所に入る
大学卒業後は海外に行くものだと思っていた両親の期待を、大いに裏切る。
2009年 東京に移住
北貴志とコンビを組み、大阪でお笑い芸人として2年間活動した後、お呼びがかかったわけでもなく東京進出。
2010年 芸能事務所に在籍
ロロというコンビ名で、ある芸能事務所に籍をおかせてもらい、プロの端くれになる。テレビ出演の機会を得て、心の中で飛び跳ねて喜ぶ。
2011年 フリーのお笑い芸人として活動
お世話になった事務所を辞め、フリーランスとしてインディーズライブに出演しながら、今後の活動に関して苦悩する日々を送る。
2012年 お笑い芸人としての活動を終了
お笑い芸人の道を諦め、コピーライターになろうと考えるが、ある政治塾が一期生を募集しているとの情報を耳にし、社会勉強として参加してみようと思い立つ。願書とレポートを提出し、入塾を認められる。しかし、大人の中の大人の世界に馴染むことができずに、改めてコピーライターを志して勉強を始める。
2013年 30歳にして初めて会社員となる
求人広告の制作会社に入った後、広告プロダクションに転職。
2014年 八割計画を始める
『八割計画』を立ち上げ、文案ディレクターという新しい職業をつくることにより、日本初という称号を得る。
また、銭洗弁天で一万円札を洗い、成功を祈願する。
これが僕のプロフィールです。
どんな人間かが伝わったでしょうか?
この書き方をマネしてくれる人がいたら嬉しいです。