自分の心に従えばそこへたどり着く
プロローグ
こんにちは。サチアレネコです。
このnoteでは、心穏やかに生きるためのエッセイを書いています。
「何が正しいんだ?」症候群
誰しも人には話していない、自分の心の中に秘めている望みがあると思う。
人はそれを実現するためにどうすればいいかを必死になって考えている。それを利用して他の人が「この方法なら必ずうまく行きますよ」と近づいてくる。そういう人たちに囲まれると何が正しいのかわからなくなってきてしまう。結局どうしていいかわからず思い悩み、また新しい情報を求めて旅をする。
そんな人でもたまにふと我に返ることがある。気づいたら膨大な時間を無駄にし何も進んでいないことに気づくのだ。それは公園で黄昏れているときかもしれないし、家でゆっくり紅茶を飲んでいる時かもしれない。我に返る時は休んでいるときだ。ぼーっとしている時だ。
溢れる情報
今の世の中は一昔前と違って情報が多すぎる。今の子供達はそういう意味では生きづらい世の中だなと思う。良くなっているようで良くなってないし、悪くなっているようで悪くなっていないようなそんな気持ちになる。結局、人間は暇つぶしをしているだけなのかもしれない。
そんなことを考えながら今行きつけのカフェでネコだけに猫背になりながらこの記事を書いている。おしりがジンジンと痛くなってきた。考えすぎかもしれない。
自分のしていることが信じられなくなる
まぁ、情報が多くても少なくても人は道に迷うことに変わりはない。それは望みがあることが悪いわけではない。望む方向に本当に進んでいるのかと自分を信じられなくなるからだ。だからどんなに良い具体的な方法があったとしてもそれをしている自分がまた間違えていないかと不安になるのである。他人から得た情報を選択するのも自分なのだ。そうやってああでもないこうでもないと迷いながら進んでいると、結局一番初めに決めた行動を続けてい
ればもっと先まで行っていたのにと後悔することになる。
マイペースでも何の問題もない
極論、そうなっても何の問題もない。別に人それぞれどう生きていようが自由だからだ。ただ、自分の望みに近づくために迷って思い悩むのが嫌であるのなら、あれこれ考えず自分が本当にやりたい方向へ進めばいい。常に自分の「本当はこうしたいんだけどな〜」を大切にしてほしいのだ。
他人からやめておいたほうがいいと言われたことでも、社会的かつ現実的に考えたら確実に遠回りをするようなことであってもだ。まずそもそも自分の望みは誰とも競争していない。早くたどり着く必要はなくマイペースに進めばいいのだ。
結果的にマイペースに進んだほうが自分の気分はずっと良い状態に保たれるので、常に自分史上最高を維持でき、生産性が高いものなのだ。
「こっちの方法が良いか?」「いやあっちの方が効率的なんじゃないか?」「でもこれをしないとこの理屈はどうなる?」と迷うくらいなら何も考えず、自分を感じて自分の思うようにやればいい。
思い悩んでいては本心から望む方向へは1ミリも進まないことは確実である。
エピローグ
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