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道徳授業講師の思い出
事務仕事を片付けていたら、TVからなつかしい
『 新田恵利 』さんの名前が。
現在、実の母親の介護から学んだ体験を基に、大学で客員教授として講演をしているそうです。
新田恵利さん
おニャン子クラブ
(といっても、分からない人がほとんどでしょう。でも、その辺は各自でお調べ願います 笑)
会員ナンバー 4
新田 恵利 (にった えり)
ソロデビュー曲『冬のオペラグラス』は、ほんのちょい音程がズレてるようなないようなところがイイ感じの曲でした。
その我らの妹的アイドル 新田恵利さんが、自身の体験からの介護の講演とは…。
時代の変遷を感じました。
↓冬のオペラグラス
講演や講義といえば…
メタボももうかれこれ20年くらい前になりますが、地元の中学校に招聘され4年間くらい道徳授業で講演をしていたことがありました。
開かれた学校教育のための、地域人材活用の一環での授業協力でした。
学期ごと一度その授業があり、年間で3回講演に行っていました。
対象はクラス単位の生徒たち約35名ほど。
担当学年はその都度変わっていました。
講演1週間くらい前?に担任の先生から連絡が来るので、その時点で講演担当する学年クラスが分かるという流れでした。
三学年✕5クラスくらい=15人くらいの老若男女が講師として招かれ、それぞれ講演をしていました。
道徳の授業ですから、テーマ…タイトルは講師ごとにさまざまでした。
とはいえ、やはり自分の職業・仕事を中心に、これまでの経験を基に話…つまり人生講話をされている方が多かった印象です。
あ、生徒たちと絵手紙を書いたり、絵画を描いたり、それを中心に授業をされていた方もいました
ね。
メタボも、もちろん同じような感じ。
自分もこの中学出身であることや、これまでの体験談などを序章に話を展開していました。
ほかの方とちょっとだけ違っていたのは、生後半年で亡くなった我が子のことを絡めて話を展開していたこと。
命の尊さや大切さ稀有さとともに、時に対する考え方…いまこの時が在ることは決して当たり前でないことや、時を取り戻すことはできない…つまり、後にやるではもう間に合わないことも起こり得る、みたいなことを話していたと思います。
毎回、アンチョコ原稿は書いていましたね。
それと、講演後に生徒たちからもらった感想文には、1枚1枚簡単でしたが思うことを書いて、また先生経由で戻していました。
でも、結局にわか教師気取りのメタボ講師には、自分で納得がいくような授業は最後までできませんでした。
やはり、先生はすごいと思います。毎日あれをこなしていらっしゃるわけですから。
道徳講師は、自分の子どもが小学6年になるまで務めていました。
さすがに自分の子どもにもっともらしく話をするなんて無理ですから、キリの良いタイミングで退任させてもらいました。
こぼれ話
数年後、会社に入社してきた若者から、自分の講演を聴いたと聞いたときには「え、ヤバ」と思いました。
話した内容を憶えてる?まで確認はしませんでしたが…拙い講演のことなんて、きっと忘れていたことでしょう。
そう願いたいです。 苦笑
でも、メタボは忘れません。
新田恵利さんのあの頃の姿と歌声。