
『親孝行』って何かを母と息子に教えてもらう②(それは 突然やってくる。)
ドリルです。
この話を読む前にタイトルの②というのを見て頂けたでしょうか?
②ということは ①があるので 出来れば①から読んで頂くのをお勧め致します。
「いやいや、私は いつも②から数えるんだよ!」
………と言う方も本日だけは ①から数えて頂けると幸いです。
それでは、本編が 始まります。
………………
…………………………
「えっ?嘘やろ?お母さん 倒れたん?仕事 行く前は めっちゃ元気で冗談も言うてたで?」
「まぁ、まだ詳しいことは わからんねんけど コンビニの前で いつも溜まってる 不良の子達いてるやん?あの子達が レジの前で倒れてるの見つけてくれて すぐに救急車 呼んでくれたらしいわ!」
「そうか…よかった。まぁ、何回か糖尿病で具合悪くなって倒れて運ばれてるし 今回も大した事ないやろ……前から人手不足か知らんけど ずっと夜中 1人やもんな。去年やったっけ?コンビニ強盗にあった時も 不良の子たちが助けてくれたんやろ?」
「そうや。あの子達と仲良いんやろな。でも、お母ちゃん まるで自分が追い払ったように 言うてたで、自分の手柄にしてた(笑)」
「フフッ、最悪やな!まぁ、取り敢えず お母さんが 運ばれたっていう病院行こか?」
そう 姉と会話している時は 『また いつものやつやな』『大丈夫、大丈夫!』と自分に言い聞かせるように病院へ向かいました。
…………
…………………
病院へ着くと母は 既に手術室に運ばれていた。
5時間程の手術の末 母は 一命を取り留めました。
一命は とりとめましたが 無事で……という訳には いきませんでした。
手術後 僕と姉は 病院の先生に呼ばれ話を聞きました。
「お母さんの場合くも膜下出血ですね。何らかの原因で急激な血圧の上昇 そして、脳動脈瘤(のうどうみゃくりゅう)が破裂してしまったと思われます。もう少し発見が 遅れてたら亡くなっていたかもしれません。なんとか、一命は取り留めましたが…………。」
「取り留めましたが?…まだ、続きがあるんですか?」
「はい……どうしても後遺症が出ると思われます。恐らく右半身マヒ、失語症、意識障害等です。」
「えっ?なんなんですかそれ?嘘でしょ?意味がわからないんですけど?いや、意味は わかるんですけど………でも、100%なるって決まったわけじゃないんですよね?」
「いえ、100%なります。しかし、リハビリなど治療する事によってある程度は 回復するかもしれません。本人の頑張り次第にもよりますが……。」
僕と姉は その話を聞いてどうする事も出来ない自分達に 悔しさと絶望感が のしかかっていた。
「お母さん、右半分 動かんへんて……どうしょう…どうしたらいいん………。」
「まぁ、僕らには どうする事も 出来へんねんから病院に任すしかないよ。なんか出来ること あれば先生も言うてくれるやろうし。しかし あれやな……」
「なんなん?」
「いや、急激な血圧の上昇って言うてたやん?あれ やっぱり 長いこと風呂入ってたせいなんかな?せっかく僕らが 手から離れて ゆっくりできると 思ったらこんなことなるなんて 悲しすぎるわ……。」
「ホンマやな 私ら何も親孝行してないのにな………。」
「ホンマに……………。」
………………
それから数ヶ月たち………………
…………………
「おかあさん!」
「あぁ!ドリル!きてくれたん!」
最初は 殆ど言葉も喋れず 動く事もできませんでしたがそれでも 母は 一所懸命リハビリをガンバり右半身不随で 多少言葉も出てこなかったりすることもありますが何とか車椅子を乗れるようになりました。
僕が お見舞いに行くと いつも病棟のフロアをリハビリを兼ねて車椅子でウロウロしていて病室にいないので 病棟を探しに行きます。
そして、
「お母さん!」
と、声を掛けると
「あぁ、ドリル……来てくれたん!ありがとう。」
と、言いながら 嬉しそうに 左足と左手で車椅子をトコトコと こいで僕の そばまで来ようとする。
「いいよ、いいよ。そっち行くから!後ろ押すし 病室戻ろうか?」
「そやな、ありがとう。ほな、押して。」
そう言って 車椅子を押しながら母と話す。
「いつも ありがとうな。
ありがとうやけど もうちょっと待ってな。
もうちょっとしたら お母ちゃん
歩けるようなって バリバリ働けるから!」
「ハハッ…。それは 頼もしいな………。
めっちゃ楽しみやわ。
でも、お母さん…僕も姉ちゃんも働いてるし
もう 働かんでいいよ。」
「いやぁ……あかんよ………。」
「なんでなん?いいよ。」
「いや………だって、お母ちゃん まだ アンタらに 何もしてあげれてないねん…………。もっともっと頑張らな!!」
僕は その言葉を聞いて何も言えなくなりました。
何もしてあげれてないのは どう考えても僕です。
母には 色んなことをいっぱい教わり数えきれないほど 迷惑をかけました。
毎日毎日 本当に一日中 ボロボロになるまで働いて 僕と姉を大人になるまで 育ててくれた。
それでも まだ 僕達に何かしようとしてくれてる。
僕は どうやったら この恩を返せんねやろ…………。
そんな事を 考えていると、
「ドリル……。あんた 幸せか?」
と、母が 尋ねてきました。
「えっ?また?…う〜ん………………わからんけど。今んとこ 不幸とは 思わんな。オカンが生きてる間は………。」
「ハハッ。なんやのんそれ。ほな、まだまだ お母ちゃん死なれへんわ。」
「ほんま………。頼むで。」
しかし、それから 母の 脳腫瘍が再び破裂し意識も無く 全身 管だらけになり 見ているだけでも辛いような状態になりました。
でも、そんな状態でも どうしても紹介しないといけない人が います。
僕は 当時付き合っていた人 (現在の妻)に母と会ってもらい 恐らく聞こえていないであろう 母の耳元で
「お母さん。僕 この人と結婚すんねん。聴こえてるかな?早く元気になって 結婚式きてや!」
そういうと 多分 気のせい だろうが 母が少し笑った気がした。
しかし、その数ヶ月後 母は 一度も目を開けること無く 遂に心臓も動かなくなりました。
いつも、母が聞いてきた、
「ドリル……。アンタ幸せか?」
この言葉が ずっと頭によぎり、
「オカンの息子で幸せやったよ……。」
と まるで何かの呪文のように何度も 心で呟いていた。
そして、僕は 結婚式の時に どうしても母に気持ちを伝えたくて 自己満足なのは 分かってますが こんな手紙を書きました。
お母さんへ
「今日 僕は 結婚します。」
お母さんが当時 周りに 猛反対されながらも 僕を産んで
そして育ててくれた。
そのおかげで お姉ちゃんや親戚の人
こんなにも沢山の友達と出会えて、
「結婚 おめでとう!!」
………って みんなに 言ってもらえるようにまでなりました。
まだまだ これからやけど これから 僕は
『一番 大切な人』
と シワシワになってもずっと一緒に 手を繋いで歩いていきます。
おかんも そこから飽きるまで見ていて下さい。
ほんで、
いつか 僕が、そっちに行った時は
また おかん の息子にして下さい。
僕……まだ、何も返せてないんで…………。
親孝行を何一つ出来ていない……そんな想いで書いた手紙です。
そして、その結婚式から2年後…………。
長男がもうすぐ産まれる数ヶ月ほど前……
僕は 会社から こう言われました。
「ドリル……すまんけど 来週から しばらく仙台に行ってくれへんか?」
「えっ?嘘でしょ?」
この話の本当度 100%
…………………………つづく。
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