見出し画像

【福祉を読む】佐木隆三『身分帳』

佐木隆三の作品の中では、『復讐するは我にあり』が有名だ。戦後最悪の連続殺人と呼ばれた西口彰事件をモデルに、詐欺師にして5人を殺害した榎津巌という男の犯罪と逃亡の日々を生々しく描いた。カポーティ『冷血』を意識したとも言われている。直木賞を受賞し、今村昌平が緒形拳の主演で映画化した。

佐木隆三が犯罪ノンフィクション小説に力を入れるようになったのには、きっかけがある。1971年の沖縄ゼネストでデモの首謀者と疑われ、12日間を留置場で過ごし、犯罪者たちの姿を目の当たりにした。それまでは労働者作家などと呼ばれていたが、これを転機に犯罪文学に熱中した。深川通り魔事件、千葉大女医殺人事件別府3億円保険金殺人事件、富山・長野連続女性誘拐殺人事件、などを次々にノンフィクション小説に仕立て上げた。オウム裁判の法廷傍聴記も有名だ。

そのような、新聞をにぎわせるような「華々しい」事件に比べれば、本書『身分帳』の主人公、山川一の罪状は地味である。罪名こそ殺人だが、その内容は、同棲していた女を脅そうとした男の日本刀を奪い、返り討ちにしたというものだ。しかも本書は、山川が旭川刑務所を出所するところから始まる。著者が得意とした、犯罪までのプロセスをつぶさに描く作品ではなく、刑務所を出た一人の人間が社会の中で生きるということに正面から向き合った一冊なのである。

★★★

犯罪が起きると、マスコミや一般の人々の目は、捜査、そして裁判にいっせいに注がれる。だがたいていの場合、判決が出て、確定すれば、世間の目は冷めていく。
しかし、実は裁判と同じくらい大事なのは、犯罪者が刑務所から出た「後」なのである。なぜかといえば、死刑囚でない限り、彼らはいずれ社会に戻ってくるからだ(無期刑であっても、日本では仮釈放の可能性がある。仮釈放のない絶対的無期刑は定められていない)。

しかし、刑務所を出た人が社会にでてやっていくこと、これが困難極まりないのである。出所者が人生を再スタートするには、今の日本の社会はあまりにハードルが高く、多い。それでも本書の舞台である80年代と比べれば、地域定着支援センターも整備され、住居確保や就労支援もかなりシステム化されており、出所後の支援制度はかなり整えられてきているが、社会の「意識」の面では、さてどうだろうか。

★★★

とはいえ、山川が置かれた境遇は、当時としては、多くの出所者と比べてもかなり恵まれているように思われる。出所直後から弁護士が手弁当で支援して、アパートの確保、生活保護の受給などに奔走した。アパートがある地域の町内会長も、担当のケースワーカーも、親身になって相談に乗ってくれている。

それより、問題は山川の性格なのである。とにかくキレやすい。すぐに「俺は若頭補佐まで務めた男」「人呼んで神戸の喧嘩一」と啖呵を切り、肩に彫った桜の入墨をちらつかせて暴力団とのつながりを誇示する。近所の犬が吠えてうるさいと電話を入れて「青酸入りの肉団子でも食わせてやろうか」と凄み、勤め先で事故を起こして弁償を迫られると(相手に非はあるにせよ)手近にあったノミを突き付けて逆に脅す。刑務所内でも看守に糞尿を浴びせて暴行罪で告訴されたほどであるから、とにかく筋金入りなのである。

「損な性格」と言えばそれまでなのだが、ある意味、これほど社会で生きにくい人も少ないのではないかと思わせられる。我慢すればよい、と思われるかもしれないが、それができない人もいるのである。その背景には、山川自身の生い立ちもあるように思われる。

★★★

山川の最初の記憶は、孤児院だった。エプロンをつけた女性に連れてこられたので、ずっとその人が母親だと思っていた。父親は海軍の軍人と聞かされていたが、一度も会ったことがない。
終戦間もない時期である。近くにアメリカ軍のキャンプができると、孤児院を抜け出して入り浸った。靴磨きで稼ぎながら、闇市でのかっぱらいもやった。浮浪児狩りを避けて各地を転々とし、児童相談所から施設に保護されても、またそこを飛び出した。
12歳で暴力団事務所に出入りして下働きをした。覚せい剤も女もそこで覚えた。組事務所に踏み込んだ警察に捕まり、虞犯として宇治初等少年院に送り込まれた。長きにわたる「入所生活」の始まりである。

宇治初等少年院に2年いた。出所しても、半年で赤城初等少年院に収容。ここで「入院仲間」から、縫い針を使って桜吹雪の入墨を入れてもらう。粗暴で手に負えず、多摩中等少年院、八街中等少年院、小田原特別少年院、盛岡特別少年院に次々移される。合計2年ほど経った頃、盛岡からようやく退院して保護司宅に帰住するが、3カ月ほどでまたもや奈良特別少年院に収容。そこでなんと収容者たちを扇動して暴動を起こし、首謀者として地方裁判所に逆送、懲役6月以上3年の刑を言い渡される。

ここまででもなかなかのキャリアであるが、ここからは日本全国の刑務所を転々とする。もうここからはいちいち書かないが、10の罪名で6回刑務所に入り、入所歴は拘置所を含めなんと23か所。成人式も刑務所の中で祝ってもらったほどである。刑務所の中でも規則違反を繰り返し、さらに滞在期間が延びるありさまであった。

ここまで書いて、どんなとんでもない化け物みたいな奴なのかと思われたかもしれないが、実は本書を読む限りでは、この山川という男、実にチャーミングで単純な性格なのである。確かに何か指摘をされたり叱られたりするとすぐキレるが、自分の男気を褒められるとすぐご機嫌になり、悪いと思えば素直に反省する面もある。男気があって義理堅く、通すべき筋はきちんと通す。

福祉事務所が主宰する婚活パーティ(当時はそんなのがあったんですね・・・・・・)に山川が参加するくだりが可笑しい。最初のパーティで気に入った女性として〇をつけた相手から、ケースワーカーを経由して会いたいと連絡が来る。相手は自分の刑務所歴を知っているのに。おっかなびっくり会いに行くと、なんだか様子がおかしい。相手の女は山川に宗教の勧誘を始めるのである。びっくりした山川は、ほうほうのていで逃げ帰ってくる。

だが、山川にこうした面があるとわかるのは、本書が山川やその支援者からの視点で書かれているからだろう。何も知らず突然突っかかってこられたら、遠ざけたくなる気持ちもわからなくもない。そうやってどんどん肩身を狭くして、自分で自分を追い込んでしまうのだ。

★★★

地域共生社会、という言葉がある。このnoteを読むような方ならご存知だろうが、厚生労働省によれば「制度・分野ごとの『縦割り』や「支え手」「受け手」という関係を超えて、地域住民や地域の多様な主体が参画し、人と人、人と資源が世代や分野を超えてつながることで、住民一人ひとりの暮らしと生きがい、地域をともに創っていく社会」のことだそうである。厚生労働省のホームページを見ると、なんとも平和というか、のどかな写真が並んでいる。

だが、山川のような人は、どのように社会と「共生」していけるのだろうか。虚勢を張り、喧嘩っ早く、人間関係を次々に壊していってしまう人は。障害者や高齢者には温かい目を注げても、山川みたいな人を前にすると「自業自得だろ」といって切り捨てる人は、支援者の中にも少なくない。

結局、本書のモデルとなった田村は、平成2年に福岡で死亡する。旭川刑務所を出たのが昭和61年だから、5年ほどをシャバで過ごしたことになる。死因は持病の高血圧による脳内出血であった。結局、地域と「共生」することができていたのかは、わからない。

★★★

最後に、本書には、山川が獄中で読んだ短歌や俳句がいくつか掲載されている。いわゆるうまい作品ではないが、どこかおかしみがあり、また心に沁みる。こんな歌が詠めるということもまた、「社会」が知らなかった山川の一面なのである。

  しみじみと美空ひばりの唄を聞く懲罰ありし昼のラジオ

  人は皆家あり妻あり子供あり我に家無く有るは前科のみ

  天高し鉄打つごとく叱られたし

  慰問ショー終われば男のみとなる現実にして冬日に歩む

  指先の感覚もなく袋貼る

  独房の広さだけが我が人生








いいなと思ったら応援しよう!