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【福祉を読む】小此木圭吾『対象喪失』
井伏鱒二の名文句に「サヨナラダケガ人生ダ」がある。于武陵の漢詩「勧 酒」のうち「人生足別離」の訳だ。以前は何とも思わなかったが、最近はついつい頷いてしまうものがある。それだけ年を取ったということか。
子供はいずれ家を出ていく。恋人はいずれ別れる(結婚したとしてもいずれは離婚するか、死に別れる)。仕事はいずれ退く。そもそも自分の人生自体、いつかは終わりがくる。淋しいしツライが、人生の真実のひとつである。
本書はそんな「いずれ別れるもの」のことを「対象」と呼ぶ。著者は、具体的には以下の3パターンを挙げている。
まずは「愛情・依存の対象の死や別離」である。これは比較的わかりやすいだろう。近親者の死以外にも、例えば配偶者との離婚、子どもの自立・別居なども含まれる。
次に「住み慣れた環境や地位、役割、故郷などからの別れ」。引っ越し、転勤、転校、婚約などがこれにあたるが、著者はさらにこれを「親しい一体感をもった人物の喪失」(結婚によって生まれ育った家族と別れるなど)、「自己を一体化させていた環境の喪失」(慣れている場所、空間から離れること)に分けている。もちろん、子どもが転校によって「仲の良かった友達」も「慣れ親しんだ環境」も失うなど、両方が同時に起きることも多いだろう。
最後に「自分の誇りや理想、所有物の意味をもつような対象の喪失」がある。これはいわば、自分自身の喪失である。さらにこれは「自分への誇りを感じさせてくれるような対象の喪失」(典型的なのは、敗戦によって忠君報国のイデオロギーを否定された日本の軍人や、大事に守ってきた文化や慣習を捨てさせられたアイヌなどだろうか)、「自己の所有物の喪失」(自分の生活上の力となっていた財産や地位など)、「身体的自己の喪失」(事故によって身体障害者となるようなケースのほか、老化や死までが含まれる)に分けられるようである。
どのタイプにせよ、対象を失うことは人生の危機である。配偶者、親、子、きょうだいなどの近親者を亡くした人は、同年代で近親者を亡くしていない人と比べて、死亡率は7倍に増えるという。配偶者の場合は10倍だ。死因の多くは心臓病やガンである。「愛情と依存の対象を失うときの人間の不安と悲嘆が、けっして、心の悲しみにとどまらず、身体的な生命力までも衰えさせてしまう」(p.10)のだ。
それだけではない。対象の喪失は、うつ病をはじめとした心的問題を引き起こす。ボールビーは対象を失った人が経る基本的な反応段階を「抗議」「絶望と悲嘆」「離脱」の3段階に分けた。「抗議」では、人は現実に抗議し、逆らい、時として現実の方を否定し、必死になって失った対象を取りもどそうとする。「絶望と悲嘆」では、現実を受け入れるが、それによって深刻な悲嘆におそわれる。「離脱」では、悲嘆を抜け出して現実に直面し、新たな対象を探すこともできるようになる。しかしそのためには「抗議」「絶望と悲嘆」のプロセスを、しっかり通過しておかなければならない。さもないと、いつまでも現実を否認して周囲に怒りをぶつけたり、悲嘆によるうつ状態から抜け出せなくなってしまう。
さらに著者は「おびえ罪悪感」にも着目する。これは失った相手を憎んでいたり、「いなくなればよい」と思っていたりした場合に起きやすい。実際に相手に危害を加えたような場合はもちろん、たとえば長期間の介護で疲弊して「いっそ死んでくれればいい」と思っていた親が死んでしまったような場合も含まれる。こうした場合、まるで自分の抱いていた思いで相手を亡き者にしてしまったように思え、通常の悲嘆に加えて強い罪悪感に苦しむことがあるという。
ことほどさように、「対象喪失」とは誰の人生においても避けがたく生じるものであり、同時に非常にリスクの高いものなのである。ここで大事になるのが「悲哀の仕事」という概念だ。フロイトが著書『悲哀とメランコリー』の中で提唱したこの考え方は、本書全体のキーコンセプトにもなっている。
とはいえ「悲哀の仕事」自体は、特に何かをしなければならないというものではない。逆である。「ごく自然な心の流れをたどり、悲しみを悲しみ、苦痛を苦痛として味わい、くやみや怨み、罪意識をも、そのまま自然に体験しつづけていくことがその達成」(p.189)なのだ。別の個所からも引用しよう。「心の健康とは、憎しみ、悲しみ、不安、罪意識のない、幸せと満足がいっぱいの快適なだけの世界のことではない。むしろ悲しみを悲しみ、怒りを怒り、恐れを恐れとして感じることのできる世界のことである」(p.159)
だがこの「ごく自然な心の流れをたどり」というところが、現代社会では難しい。仕事や家庭がある中で、周囲からも、また自分自身でも「早く復帰しなければ」「早く『普通』に戻らなければ」と焦ってしまい、悲嘆や落ち込みの時期を十分に持てないまま外形だけは「社会復帰」してしまう。だが、途中で終わってしまった「悲嘆の仕事」は、そのまま消えてなくなるわけではない。うつ症状、暴言や暴力、死者への執着など、思いがけない形で表に出てきてしまうのだ。
そしてもう一つ、「悲哀の仕事」を成し遂げる上で大事になってくるのは、悲哀の仕事をともにする人の存在である。本書の中から一つだけ、例を引いてみよう(引用ではなく、適宜要約した)。
10年前に夫に先立たれ、他に身寄りもいない70歳のBさん。糖尿病で視力が衰え、脳卒中で右手足に軽い麻痺がある。病院に入院し、リハビリで歩けるようになったが、誰彼構わず「自分はどうしたらいいんだ」「どうやったら目が見えるようになるのか」などと訴えて回るため、病院のスタッフは疲弊し「薬で落ち着かせろ」「精神病院に入れてしまえ」という意見も出るようになった。
著者はBさんと面接し、夫の死、視覚の喪失、身体の麻痺などの対象喪失の歴史を一つ一つ回想してもらった。Bさんは亡くなった夫や自分の父を思い出してさめざめと泣き、「どうして私ばかり、こうも不幸な目にあうのか」と言った。だがこれをきっかけに、Bさんは幼い子どものように病院のスタッフにまつわりつくことはなくなった。
こうした「悲哀の仕事をともにする人」は、家族や友人、職場の同僚から近所の知り合いなど、誰がなってもおかしくはない。だが、人によっては(Bさんのように)そういう相手がいないことや、いても適切に関わることができない相手ばかり、ということもあるだろう。
実は、ここにソーシャルワーカーの役割があるのである。ソーシャルワーカーこそ、こうした人々に寄り添い、共にいることができる人であるはずだ。そして私たちの現場には、こうした「対象喪失を抱えたままの人」が少なくないのである。
逆に言えば、こうした「悲哀の仕事」が不十分であるために、さまざま精神症状が生じていて、そのために精神病院に長期入院したり、施設で厄介者扱いされているようなケースがいるかもしれない、ということだ。福祉に携わる者として、よくよく肝に銘じるべきであろう。
さて、以下は余談。
私は90年代に大学で臨床心理学を学んでいたが、当時は「フロイト派の小此木圭吾」と「ユング派の河合隼雄」が双璧であった。単に西欧の理論を輸入するだけでなく、日本に根付くようさまざまなアプローチを提唱していた、という点でも似通っている。
河合隼雄が日本の神話や昔話から独自の考察を引き出していたのに対して、小此木圭吾は師匠格の古澤平作が創案した「阿闍梨コンプレックス」という概念を広めていた。これは仏教説話に由来し、「母親は子供の出生に対して恐怖を持ち、子供はそれに対する怨みを持つ」という考え方がベースになっている。フロイトの提唱したエディプス・コンプレックスが父親と子どもの葛藤を中心に置いたのに対して、母子関係に着目したのがいかにも「父親不在の国」日本っぽいように思うのだが、どうだろうか。
小此木圭吾は他にも「モラトリアム人間」という用語を広めたことでも有名だ(ただし、もともと「心理社会的モラトリアム」という呼称を発案したのはE・H・エリクソンである)。もともと「支払い猶予」を意味する金融用語であるモラトリアムを、小此木は「人生の選択をさけていつまでも可能性を保ったまま、大人になることを拒否して猶予期間にとどまる」若者に対して用いた。
小此木が『モラトリアム人間の時代』を発表したのは1978年。まさに高度成長期からオイルショックを経て、バブル経済に突入する手前の時期である。だがその後、バブルが崩壊して就職氷河期が到来し、「モラトリアム人間」の代名詞だったフリーターは、若者が否応なく選択せざるを得ない「非正規雇用」になってしまったのだった。