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今日に向って撃て!

「先生、水彩絵の具で、ダンボールに印刷されたロゴって塗り消せますか?」

ある日の絵画教室。生徒のお母さんからこんな質問を受けた。

そして
「昨日は夜中を過ぎてもダンボールを工作していた」
と聞いた。小学1年生の娘の作業を、お母さんも一緒に手伝っていたそうだ。

お母さんはお昼間はお勤めに出ており、当然家事もこなし終えた一日の終わりに親子で工作、ということだ。

その工作というのは、ぬいぐるみのための小屋作り。本当は動物を飼いたい娘のためにご夫婦は、これまでに可愛いぬいぐるみをプレゼントしてきている。
そのぬいぐるみのための小屋をダンボールで作ったという。
聞けば、ちゃんと窓も開けていて、かなり手の込んだ作りらしい!

そして今夜、色を塗るという。また12時をまわる作業になりそうだった。


我が子のために一緒になって飛び込んでくれるお母さんも凄いのだが、何よりも自発的に制作という行為、つまり表現に向おうとする本人の姿勢が凄いし、胸を打たれる。


ぼくはいつも思うのだ。絵画教室というものを開き、先生と呼ばれているぼくの方がいつも教わっている、と。

乱暴な表現ではあるが、彼らの制作行動は「一銭にもならない」ことに時間と労力を使い・・・いや嬉々としてやっているわけで、おそらくそれらの行為を遮ろうとするものがあったとしても越えてゆくのだろう。

われわれオッサンは、「翌日にさしつかえるから」「今日ぐらいは」とか言い訳のボキャブラリーばかりを増やし、必要最小限のことにばかり力を注いでしまう。いや、それで今日が済んだ、と勝手に決めてしまう。または、してしまいがち。

気付かされるばかりなんだ。そして自問する。ついやってしまう手加減して生きる、そのエネルギーの温存は一体なんのために、誰のためにやってしまうのか、おれ!


最近も、高校生に偉そうなこと言ったなあ。

ゲームが好きな彼曰く、「周りの連中も少しずつゲームから足を洗って行ってるんです」と。ぼくが彼に言ったのは、

「ゲームって膨大な時間費やしてクリアしても、何にも残らないよね。その、何にも残らないものに夢中になれる君は素晴らしい。ムキになれるのは素敵なことなんだ。絶対に大切にしてね」

ぼくはゲームをやらない人間だけれど、このセリフは恐らくぼくがぼく自身にむけて言っている。

金や勝敗、ご褒美・目的のために人が頑張れるのは当たり前。そうじゃないもののために必死になったり時を忘れて生きようぜ、おれ、って言っている。忘れないように。これはぼくの残りの人生を覆い尽くすテーマだと思ってる。


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