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名古屋は「芸どころ」か「文化不毛の地」か


何でもあるのに何故「なにもない」のか

名古屋市は人口233万人を抱える大都市であり、江戸時代においても尾張徳川家の城下町として栄え、当時は三都(江戸・京・大坂)に次ぐ都市として君臨していました。

寺社仏閣も多く、名物やお土産も数多くあります。もちろん大都市ゆえに地下鉄やデパート、大企業、テレビ局、港湾、大学、商店街、水族館、動物園、文化施設などあらゆる機能を備えた都市であるのは間違いありません。

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にも拘わらず、名古屋市が行った調査により、見事「主要都市の中で最も魅力に欠ける街」の称号を獲得。その調査で驚きなのは、名古屋市民ですら地元推奨度が低く、愛着すらそんなにないという、郷土愛の薄さが顕著という点です(※)

参考記事:八大都市の中でダントツ最下位(FNNプライムオンライン)


なぜ名古屋人はみな口を揃えて「名古屋は何もない😞」と嘆息するのか。

こうした名古屋の現実とイメージのギャップはどこから生まれてくるのか、考察してみました。


日本史の脇役だった名古屋

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尾張と呼ばれる地域は古代から開けていましたが、日本の歴史上、都が置かれたことは1度もありません。つまり尾張は常に歴史の脇役だったのです。源頼朝や織田信長、豊臣秀吉といった英傑を輩出しましたが、いずれも尾張ではない場所に政権を築いています。

城下町としての名古屋も、御三家筆頭格・尾張徳川家が治める大都市ではありましたが、三都と違い、一城下町という意味では地方都市に過ぎない存在でした。

そのため日本史の教科書に「名古屋」の文字は出てくることはそんなにありません。


名古屋の街にはストーリーがない

いくら歴史があっても、ストーリーがなければそれは伝わりません。


「ストーリーがない」とはどういうことなのか。

たとえば、京都市にある「ねねの道」は、秀吉の妻・ねねが晩年過ごしていたためそう呼ばれており、そうした歴史のストーリーに人々は感嘆します。

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しかし、この「ねねの道」は、実は現代になって再整備された道路であり、さも昔風情があるように見せかけたものに過ぎなかったりします。

他にも京都の町はストーリーが豊富です。池田屋事件が起きた場所は現在は居酒屋として活用されており、新選組ファンの人にとって聖地になっています。源義経と弁慶が邂逅した五条大橋、大政奉還が行われた二条城、織田信長が横死した本能寺(現在とは場所が異なる)など、ストーリーのある場所が多々あります。

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一方、名古屋には歴史や文化材はあっても、それを伝えるストーリーに欠けており、脇役都市の悲哀が漂います。そもそも名古屋は地下鉄・地下街が高度に発達しすぎてウィンドゥショッピングや散策に向いておらず、観光客も地元民も魅力に気づきにくい街づくりをしてしまった感は否めません。

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画像は名古屋市政資料館。西洋風の趣のある重要文化材ですが、観光施設として活用されておらず、ほとんどの市民はその存在すら知りません。


ストーリーは作るもの

しかしストーリーは必ずしも歴史だけとは限りません。

歴史が浅くてもブランドを築いている都市なんて沢山あります。


そう、ストーリーが無ければ作ればよいだけです。


1つの例がアニメの聖地です。

いくつかの例として、アニメ「らき☆すた」の舞台である鷲宮、「ひぐらしのなく頃に」の舞台である白川村などは、ファンによる聖地巡礼が盛んになり、知名度向上が大きく向上しました。

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(「君の名は。」の背景として有名になった飛騨古川駅)

もちろんアニメ1つの聖地になったところですぐにブームは過ぎ去るものですが、東京・横浜・京都・札幌などはアニメのみならず数々の映画やドラマのロケ地になっており、継続的にメディアに露出してブランドが形成されています。

また、国民的著名人が1人登場するだけでも大きな影響力があり、「あそこはあの人が若い頃通ってカフェがある」とかでもメディアに取り上げられ、聖地巡礼が行われる場合があります。大阪や福岡は多くの芸能人を輩出しており、彼らの持つ発信力が魅力度向上に繋がっています。


しかし、名古屋は(その都市の大きさや人口の割には)創作の舞台になることが少なく、出身芸能人も少ないと言われています。

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2010年代は地元アイドルであるSKE48やボイメンがかなり情報発信に貢献していました。それらも今ではブームが過ぎかけ(ファンの方申し訳ありません)であり、次の世代の登場が待たれています。


名古屋がストーリー性のある、魅力的に映るような街にするならば、行政と市民、企業が一丸となり、ロケ地としての誘致だけでなく、それに紐づく広報活動と土地活用、地元の情報発信に貢献するようなクリエイターの育成と定着に注力するのが良いと思います。


(注釈)

愛知県では「郷土愛を持つことはダサイ」という価値観があり、土地柄的に卑屈な気質が根付いている。加えて辛口評価の気質があり、「芸どころ」と言われる裏で、芸能界では「名古屋で成功は難しい」「名古屋で成功できたら全国どこでも通用する」という格言もあるほど。

そうしたネガティブな気質が名古屋のネガティブなイメージを外部に発信し続けており、もし名古屋市民に「名古屋ってどんなところですか?」って問うと、十中八九「何もない」「田舎」「わざわざ来る必要ない」「人が嫌」「つまらない」「東京でいい」という答えが返ってくる。

名古屋は「芸どころ」の由来

18世紀初頭、尾張藩主7代目の徳川宗春は、江戸幕府とは対照的に文化開放政策を行い、当時として極めてリベラル寄りで、伝統やマニュアルより実利を重視した地域であった。

一方で当時の江戸は徳川吉宗の「享保の改革」のもとで厳しい取り締まりが行われ、特に芸人や女性に対して不自由を課していたため、江戸から名古屋にこっそり移住する遊女・人形師・職人が相次いだ。彼らを受け入れた名古屋の繁栄ぶりは「名古屋の繁華に京(興)がさめた」と謳われる程であった。






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