「これは『呪い』を解く感想文――」ジョジョリオン感想覚書
ジョジョの奇妙な冒険第8部こと『ジョジョリオン』を読みました。
めちゃくちゃ面白いじゃんこの漫画。
今までのジョジョで1番好きかもしれないです。
ですが、私が「好き」だと感じる理由には今までの第1部~第7部の積み重ねがあってこそのものが多分に含まれています。
組体操でいちばん美しく見えるのは頂点で決めポーズするあいつである、みたいな話に似ています。
私の肌感覚ですとジョジョリオンを1、2を争うジョジョだと考える人は少ないようです。
ひょっとしたらレアなジョジョ体験をしたのかもしれないし、今回は「ジョジョリオンのどんなところが好きか?」を箇条書きで書いて私の好きを言語化してみましょう。
①ジョジョじゃないよこれ
「ジョジョってなんだよ」という定義は面倒なのでしません。印象としては、「『ジョジョの奇妙な冒険』の世界観を使った伝奇」みたいな感覚です。
ジョジョリオンは冒頭から「後に定助と命名されるこの男は誰なのか?」という謎が提示され、その後もドンドン謎が増えていくサスペンスじみたストーリー構成になっています。
東方家の正体とは?
この世界での吉良吉影は何者?
ロカカカと呼ばれる果実はなんなのか?
パートごとの敵を撃破してもそういった謎の答えが提示されるどころか、新しい謎が増えることも多いです。
ひっきりなしに増えていく疑問が作品全体に重苦しい雰囲気をたれ流し、読んでも読んでも胸に鉛が詰まったような気持ちにさせてきます。
たとえば3部でDIOの刺客を倒したり7部で遺体の一部を回収したときは、かなりスカッとした記憶があります。
敵を倒せばその分目標(3部はDIO、7部は遺体コンプリート)に近づく確信があったからです。
ジョジョリオンにはそういう「目標に近づいている」感がまるでない。だれを倒しても定助がどこへ向かっているかが見えず、モヤモヤします。ポルナレフ風に言うならば、
「『ただしいことの白』の中に俺はいるッ!
……のかッ!?」
要はジョジョとは思えないほど暗いんですよ。謎が多すぎてスカッとしない。モヤモヤするのが27巻ずーっと続く。
明確な障害を乗り越えて未来を繋いでいく人間賛歌を唱えてきた今までのジョジョと比べると、異質なストーリーに見えました。
その暗さが私は好きです。
影を思い浮かべることすらできない結末を見ようとページをめくっても許される物語を、私は好みます。(詳しくは後述)
①-1ラスボスが全然出てこない
1部~7部までのジョジョは、かなり早い段階でラスボスが登場していました。
1部なんて第1話ですし、4部では「杜王町に潜む殺人鬼」の話が出てきてから間を置かず吉良吉影が登場しています。ラスボスの正体をあまり引っ張らないのがジョジョの傾向です。
正体はさっさと明かして背景や人格を掘り下げていき、単なる悪役よりはるかに深みのある悪役に昇華させる。ジョジョのラスボスを考えてみると、こんな流れが見えてきます。
ジョジョリオンはどうでしょう。ラスボスの"院長"こと透龍の初登場は20巻81話ですし、本性を顕わにしたのは24巻あたりです。他シリーズと比べると明らかに遅いのがわかります。
この「ラスボス不在」の長期化がジョジョリオンの不気味さを加速させた、と私は考えています。だれを倒せばこのお話が終わるのか全然見えてこなかったんです。
2部はカーズを倒せばよかったし、5部はディアボロを倒せばよかった。その存在は序盤ないし中盤には明かされましたよね。
でもジョジョリオンは「本当に倒すべき相手」が不在のまま終盤に突入しました。終着点が見えないフィクションというのはとにかく気味が悪いもの。
読んでいる最中は「何をどうすればいいかわからね~!!!」とずっとあたふたしていたと記憶しています。
そんな真っ暗闇な話だからこそ、東方家の互いを想うからこそすれ違ってしまう家族愛や、吉良吉影と空条仗世文をめぐる奇妙な友情がより輝いて見えるのかもしれません。
①-2:遠距離スタンドばかりだからこその不条理
ジョジョリオンでは遠距離スタンドとの戦いが非常に多いです。
スタンドバトルのほとんどが
「敵の襲撃による異常が起こる」
↓
「遠距離タイプのため、スタンドだけを相手にしなくてはならない」
↓
「スタンド能力を攻略or本体を叩く」
この流れをとっており、ラスボスもこれに類するスタンドで定助たちを苦しめました。ときには抵抗すらできず何話にも渡ってなぶられるだけのエピソードもあったぐらいです。(ペーパー・ムーン・キングなど)
第3部のスタープラチナVSザ・ワールドのようなスタンド同士が激突する近距離バトルが極端に少なく、これもジョジョらしさを欠いている原因のひとつだと思います。
そんな遠距離バトルだらけのスタイルも大好きなんですよ私。
遠距離スタンドは戦闘用の超能力というより、理不尽な怪異としての一面が色濃く出ます。「何かを開けるとバイクが襲ってくる」「すべての物体が同じ顔や物体にしか見えなくなる」などはその典型でしょう。
物語全体に不穏な空気がただよっているジョジョリオンではこの理不尽がうまくハマっていて、まるで怪談や都市伝説を読んでいるかのようなテンションで楽しめました。ところでペーパー・ムーン・キング強すぎません?
①-3:「わからない」で読めた漫画
くり返しになりますが、ジョジョリオンはとにかく謎が多いまま進む漫画です。
なにをすべきかも不透明、だれが黒幕か見当もつかない、襲ってくるスタンド能力は理不尽すぎて意味不明。
「あーそういうことね」と納得しながら読み進められたシーンなんて、それこそ吉良吉影と空条仗世文の友情の物語ぐらいだったと記憶しています。
とにかくこの漫画、わからない。
その「わからない」物語体験が私に刺さりました。
最近は漫画に限らず、さまざまなコンテンツでストーリーを深く読みこんで自分なりの感想を導く解釈や考察が流行っています。普段は私も楽しんでいるひとりです。
しかしジョジョリオンは不明な点やあえて伏された点が多すぎて、
「こんなにわからないならひとまず考えなくていいや!」
と開き直れたのです。
ストーリー内の細かい描写や比喩表現を咀嚼しながらちまちま読んだりしない。ただ目の前のよくわからない物語に没頭して、定助や康穂といっしょに謎を追いかける。これがとても面白かったのです。
「何をどうすればいいかわかんね~~!!!!」
「でもおもしれ~~~~~~!!!!」
私のジョジョリオン感想を簡潔にまとめると、これに尽きます。
ひたすらに陰鬱で不気味で謎だらけ――しかも謎の一部は完結しても回収されなかった――でしたが、謎がわからないままでも読者を楽しませてくれる、とてもやさしい物語だったのかもしれません。
②一貫する「呪いを解く物語」
①は初見で読んでいたときの感想ですが、この章は読み終わった後に考えるようになった話です。
ジョジョリオンは未解決の伏線を多く抱えた物語といえます。定助が序盤で思いだした金髪の男なんかは筆頭でしょうか。
ではストーリーそのものが破綻しているかといえば、そう思いません。むしろ第1話で明示していた「呪いを解く物語」については一貫していたと私は考えます。
このモノローグの後に、こう続きます。
この「呪い=解くべきもの」の構図は物語のなかで徹底していました。
まず思いあたるのは東方家の長男が代々発症してきた石になる呪いです。この呪いは東方花都の命がけの行動によって解かれました。
では、ジョジョリオンとは東方家の呪いを解く「だけ」の話だったのでしょうか?
②-1:東方定助のための lion(祝福)
ジョジョリオンがどんな物語だったかを考えるには、ジョジョリオンにおける「呪い」とはなにかを考える必要があります。
呪いの定義については作中でも何度か言及されていますが、端的に語っている例として16巻第64話での東方つるぎの独白を見てみましょう。
つるぎは東方家の長男に生まれて病を背負うと決めてこの世に誕生したわけではありません。それでもそうなってしまい、苦しみました。
土地の形そのものを人間が変えるのは困難なように、「人間の思惑を超越して降りかかるなんらかの現象」をつるぎは「地形」と表現し、それこそが呪いの本質だと語っているのではないでしょうか。
こう考えると第1話で呪いの定義のひとつとして語られる、
この説明も腑が落ちます。現在を生きている人にとって、過去から降りかかってくる呪いなんてどうしようもありません。東方家の呪いもこれに通ずるものでしょう。
ラスボスのスタンド「ワンダー・オブ・U」などは人にはどうしようもない厄災を個人のために利用する指向性のある呪いと解釈できますし、私たちの現実の話をするならば件の大震災をきっかけとして今も続くさまざまな問題も「呪い」といえるでしょう。ジョジョリオンでも震災をきっかけに物語が動きだします。
このように定義をもとに考えていくと、あの杜王町には至るところに呪いがあったのがわかります。
その中でもとくに「人間の思惑を超越して降りかかるなんらかの現象」に強烈に振り回されたキャラクターがいます。東方定助です。
定助は吉良吉影と空条仗世文の間で交わされた、奇跡のような等価交換によって生まれました。
記憶を持たない定助は、自分の元になった吉良と仗世文の願いのためにロカカカを求める戦いに飛びこんでいきます。
自分が生まれる前に発生した因縁を清算しようとする東方定助とは、吉良吉影と空条仗世文が生んでしまった「呪い」そのものであり、解かなくてはならない呪いを受けた被呪者のように見えます。
定助は自らの呪いを解く手段を「ホリーさんの救済」に求めました。吉影と仗世文が救おうとした彼女を助けることで、かつて自分だった人間がいた証明をめざしたのです。
初見では「主人公が目的に目覚めるいいシーンだなぁ」と純粋に感動したのですが、読破したいまは少し受け取り方が変わりました。
むしろ呪いを深めてないか?と。
"東方定助"と"吉良吉影および空条仗世文"は違います。定助自身も2人が自分のルーツとは理解しているものの、記憶も自己同一性もないためか彼らの名を使ったりもしません。この3人は奇妙な他人同士なんです。
定助は他人の想いを果たそうとして奔走し、傷つき、狂気じみた執念でロカカカを追い求めます。希薄な自分を確立させるために他人の想いに翻弄されていると見れば、これは呪いでしかありません。
定助は自分の人生を生きていないのです。
だからこその「呪いを解く物語」であり、最終話で定助は呪いから解放されます。
彼は透龍を撃破したもののロカカカの入手に失敗し、ホリーさんを助けられませんでした。
さらに心残りであった仗世文の母親とその想いも受け取り、定助は「吉良吉影と空条仗世文」から連なるさまざまな因縁から切り離されます。
その後に残るのは康穂に発見され、東方家の養子となり、家族と一緒にケーキを選ぶほどに打ち解けた「東方定助」だけです。
他人に縛られつづけた東方定助が東方定助の人生を始めたのがあのケーキを選ぶシーンであり、そこで『ジョジョリオン』は終わるのです。
『ジョジョリオン』は"jojolion"と書き、"lion"は『祝福』を意味する言葉だそうです。旧約聖書において祝福は、子どもの誕生に神から贈られます。
第8部のジョジョ、東方定助が呪いを解いて一個の生命として誕生し、祝福される。
ジョジョリオンとはそういう話だったのかもしれない、と読み終わったいまは考えたりします。
余談:ソフト&ウェットの新能力「ゴー・ビヨンド(超えていく)」も「幽霊のような定助が呪いを超えていく」という意味合いが込められている……のかもしれない。
②-2:27巻で終わるジョジョの奇妙な冒険
※この節は仮定に仮定を重ねてメタフィクションも取り入れた私個人の妄想です。感想文としては前節で完成しているので、奇妙に思ったら読み飛ばしても問題ありません。
この記事では呪いを「人間の思惑を超越して降りかかるなんらかの現象」と定義して話してきました。
これってジョジョ1部~6部におけるジョースター家の運命とよく似ていませんか?
そう考えて本編を読み返してみると、ところどころに過去作の要素がちりばめられているのがわかります。というか読み返さずともわかります。露骨すぎるよ荒木先生。
杜王町が舞台で吉良吉影がキーキャラになる
東方家を襲う呪いがジョニィ・ジョースター起源
ジョナサン・ジョースターが妻と子どもを助けるために死ぬ
ジョセフ・ジョースターが登場
「空条」「仗」世文(じょせふみ)とかいう2部・3部・4部ジョジョ全部乗せネーム
女性(東方花都)が刑務所で服役する
※5部は思い当たる要素がなかったので割愛。心当たりがある方は教えていただけるとありがたいです。
こうやって過去作に重なるパーツを探してみると、終盤で東方花都が命を犠牲にしてつるぎを救うシーンが目につきます。
刑務所に服役していた女性が子どものために命を捨てる……第6部の主人公・空条徐倫を思いだします。
徐倫が身を呈してエンポリオを救った結果、第6部の物語は正義の勝利で幕を閉じ、ジョースター家を縛る運命も役目を終えます。
ジョジョリオンでは花都の決死の行動がつるぎを救い、同時に東方家をとりまく呪いも透龍とともに崩壊しました。いま思うと透龍の命乞いプッチ神父みてぇだったな。
まとめると、ジョナサン(ジョニィ)・ジョースターから始まった呪いが、空条徐倫とポジションを同じくする東方花都によって潰えたわけです。忙しい人のための「ジョジョの奇妙な冒険」みたいなことになってますね。
これは単なるオマージュではなく、改めて「ジョースター家の運命」という名の呪いが解けた。それが私の考えであり、第1部~第7部の積み重ねがあるからこそジョジョリオンが面白い理由だと受け取っています。
※妄想開始
パラレル、あるいはX巡後の世界としてリスタートしたジョジョ第7部以降の物語でも、第6部までの要素がふんだんに盛りこまれてきました。Dioはいるしシーザーも活躍するしザ・ワールドも出ます。
第8部『ジョジョリオン』でもその傾向は変わりません。読者としては「ジョジョの奇妙な冒険」のなんらかのオマージュや再話を期待します。
これが「ジョースター家の運命」という名の呪いであり、呪われているのは読者です。
物語の中を生きる彼らが考えもしない、もうとっくに終わった「ジョジョの奇妙な冒険」の物語をなぞってくれないかと期待しているのです。
あの杜王町の住民にとって「ジョジョの奇妙な冒険」は全然関係ない出来事なのに、似た人物の登場や行動を願って彼らの人生を縛ろうと善意で願います。
東方花都は空条徐倫のように東方家の呪いを解いたのは、せめてもの抵抗に見えます。ジョースターの終着点である第6部の結末を終えてしまえば、その先に運命と呼べるものはありません。
新しい世界でも過去作の話をキッチリ終わらせて、後に生きる東方家の人々に誰の干渉も受けない本当の自由を与える。
読者には「『ジョジョの奇妙な冒険』は終わっている。これは『ジョジョリオン』である」と改めて伝えて、私たちにかかっていた呪いを解く。
東方花都の物語上の役割とは、こういうものだった気がします。
祝福を受けた定助や東方家の家族が、吸血鬼にもシチリアンマフィアにも関わらない人生を歩むことを願います。
でもこれで第9部で過去作オマージュいっぱい出たら気まずいな。
※妄想終わり
最後に
私事になりますが、私は今年の1月から「ジョジョの奇妙な冒険」を履修するようになり、今回のジョジョリオンで現状のジョジョシリーズを完走しました。
『ジョジョリオン』が芳しくない評価を受けていたのは知っていたので、ここまでいろいろ考えられるほど楽しめたのは最高の予想外でした。約1年にわたるジョジョマラソンのゴールがジョジョリオンで本当に私は幸せ者です。
あとは第9部「ジョジョランド」を待つだけです。その時はこの感想文を読んでくださっている方と同じ目線で追いかけて、ジョジョの本当の終わりを見届けていきたいです。
今回はこのへんで。それではまた、違う作品で。
PS.今までのジョジョ感想文とテンションが全然違って自分でびっくりした。ジョジョっぽくない『ジョジョリオン』だからかな。