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[バリ島旅行記] 中西部方面 タナロット寺院、クランビタン王宮、温泉そしてジャティルイ ライステラス 4日②(2024年5月下旬

今回はタナロット寺院から地図上の②クランビタン王宮へ。

10:15 クランビタン王宮

タナロット寺院から車で30分くらい。田園風景から、お金持ちそうな古くて広い屋敷などを通ってやってまいりました。

バリ島でも最も古いとされている建物がある王宮
入り口には誰もいない
入っていいのかちょっと不安

ドライバーさんが、人を探してくれてます。 あまり情報がなく、ドライバーさんも初めて来たということで勝手が全くわかりません。とりあえず、オープンスペースを見物しながら待つことにしました。

こんな素敵なソファーのあるお家に住んでみたい
ゴージャスな扉は鎖でグルグル巻かれていた

ちょっと見物しながら待っていると、ドライバーさんが男性の方と共にやってきました。この男性、なんと王家の末裔の方!ロイヤルの方が案内してくれるとのことです。

こちらからは

王家の方

ドライバーさん (簡単な日常英会話ができる)

私のあやしい英語で聞いたことなので、間違いなどがあるかもしれませんが、旅の思い出の記録として。ここ違うよ!何て気づいた方は、訂正していただけるとありがたいです。

4ヘクタールほどの敷地に1960年からの宮殿を含め、7つに区分けされているそうです。今回案内されたのが7つの区域でも、もっとも古いエリア。

初代大統領スカルノ氏も滞在されたとのこと。

なんでも攻撃的に見えないようにするために、ティーンの時に犬歯をヤスリで削り、真っ平らにする儀式が行われたんですって!うわー、エナメル部分を削るだけだから痛みはないだろうけど、なんだか音がヤダなー。

キングの直系しか住めないというエリアに入る際に「生理中ではないか」と聞かれました。これはヒンドゥー寺院と一緒ですが、直接聞かれたのは初めて。

鍵のかかった門を開けてもらって、いざ、1650年からロイヤルの住んでいた敷地へ。

丸いのはお皿や中国茶器
かなりの数のお皿たちが産み込まれている

古くから中国との交流があり、お皿などは建築の時に発掘されたものや寄贈されたもの。皿を使う習慣がなかったので、もったいないから?建築の時に使用したそうです。

このブリックお皿装飾がなんとも素晴らしくて感動🥹 計算され尽くされた色彩と配置。中には希少価値なお皿があるんじゃないかしら?

この後の王家寺院でもこのお皿たちは、本来の使用目的とは違う意味で大活躍。バリの王家と共に歴史を分ち合い、お皿たちは今この時代をどう思っているでしょうか?

右は高い天井の部分、ガルーダかしら?
こちらのお妃様方が住まわれていた建物は修復されていて、オリジナルでないとおっしゃっていました
王家直系の死体を取り扱う建物

左のベッドが死体用で、右がセレモニー用。ヒンドゥーの吉日に行われるセレモニーまで死体はハーブなどで保存されていた。

次の区域の門へも鍵をガチャガチャと開けてもらって、通されたのが王家宗教寺院のようなところ。

各世代の王家の仏殿
ここでもお皿がふんだんに使われている

最初はお墓なのかと思ってたのですが、日本でいう仏壇みたいな感じ?だそうで世代ごとに祀られています。

初代王様の仏殿

死体は火葬で魂を解き放ち、遺灰を海に流して浄化。そして魂はこの仏殿に帰ってくるのだそうです。

王様はみんなあぐらを組んでいるけど、女王様は正座

左側の像は唯一の女王様。右側の弟さんが成人するまで女王の座に君臨していた。

お皿は全部で何枚使われたのかしら?

ウルワツ、ブサキ寺院などを含む東西南北の寺分家が敷地の1番奥に建てられていました。当時は交通の不便さから各寺院へ参拝するのは困難だったゆえに、分家を建てていつでも祈れるようにしたとのこと。

ここで見学は終了。オープンエリアに戻ってきました。

入場料はなしで、こちらのドーネーション箱へ建物修復の寄付を募っています。ノートブックに名前と国を記入して、寄付額を記。

帰り際には「日本人のグループの予約が6月に2件ほど入っているんだよ」と。私達が最後の門をくぐるまで、王家の方はお見送りをしてくださいました。

海外からの資本で急激に進化していくバリ島。いつまでもこの歴史と文化が、保存されることを願うばかりです。

かわいい子犬達ともお別れの時間
前方の2輪バイクのエンジンほどのミニトラがグイグイと走行
それもそのはず、スピード ハンター😆

次回、温泉♨️とジャティルイ棚田へと続きます。

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