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移動

速い速さで他動的に移動している。
とは言え果たしておれの毎日においてどれほどの移動が自動的なのだろうか。思い返して驚くが、どこをどう移動したかすら思い出せない。
登山家と宇宙飛行士に思いを馳せる。山を登る足は自動的に斜面を蹴るだろうか、ロケットのエネルギーは自動的に噴出するだろうか。きっと彼らは自動的に移動し、到達する。

車窓から外を見ると自分が移動していることがわかる。なんのために他動的な手段をとったのか、時代に静止することもせずSNSを覗く。しかしこれは一体なんのための移動なのか、科学は未だおれの個人を救わない。はて今おれはどこへ向かっているのか、そもそも他動的な移動でどこかへ到達できるのだろうか。

魂を持たない自動的な思潮に生かされている。

背筋が凍るが、室内ではエアコンの自動性が猛威を振るい、瞬く間に精神さえも容易く鎮静してしまう。待ってはみるもののもちろん今日も激情は興らず、移動に次ぐ移動で疲弊した貧弱な脳に回る酒は速い(2.5Hの鉄の移動速度を凌駕する)。どうやらどこかに到達したらしく、資本主義が生んだ他動的移動文化は否応なく自動的に機能している。シリアスが消え失せるのを感じる。閃きは加速する。最後、おれは歩く。急げ、歩く、歩け、歩く、ある、赤信号、止まる。


ようやく静止したおれの生死を都市の自動が握る。

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