礼節の欠落か過剰な忖度か

 今や飛ぶ鳥すら視界に入らないほど人気も魅力も感じられない建設業界。そんな業界の民間企業に籍を置きながら、勤務先は官公庁という特殊な業務形態。要は業務委託の担当者。公共工事を発注、施工をする際の支援、補助業務を遂行するのが役目。もちろんこの業務も公共事業の一環であるため、業務に関する規定が設けてあるが、この規定範疇外の業務を依頼されるのが常套化しているのが現状。国や中央がやり始めたことを追従していくのが地方自治体の流れではあるが、国家機関ほど危機管理や監査検証能力が高くない地方部は、その規定をいとも簡単に逸脱し、なぁなぁと慣例体質によってオリジナリティあふれるファンタジー劇場化させていく。
 国が制定した共通仕様書と呼ばれる業務規定をそのまま丸写しで採用させているが、言い回しが微妙な箇所については読み手の文面解釈が必要な文言で逃げている。そこから先の明確な業務区分については請負側の忖度によって成り立っているところがずるい。
 そして始末に負えないのが同業者。官公庁のセクションによっては複数社が業務委託として席を置くことも珍しくないが、地方の田舎特有のアゲタテマツル事ことが至上主義の理念が根強く、“業務委託=御用聞き”ではないという正論がまず通用しない。御用聞きに徹することこそが業務受託者としての責務であり、次の仕事につながる重要なファクターであると妄信している。しかもそれが現実且つ実情であり、その証拠に指名競争入札でありながら数年間、何なら10年以上同じ業者の同じ担当者が同一のセクションに留まり続けるという絵に描いたような不自然さがそこにはある。
 こんなことを言ってしまうと同じ業界に身を置く者にとってかなり不利益な事かもわからないが、そんなことはどうでもいいと思うほど、自分自身公共事業という仕事に嫌気が差しているのも事実。個人的な悩みになってしまうかもわからないが、この仕事、一体誰のために役立っているのかがわからなくなってくる。

 会社の上司には社内業務に戻りたいと伝えた。お役所内の実情や事例、同じ並びに席を置く同業者のアホさ加減も自分が思うがままを伝えてある。
 自社ではそういう概念がない、というか今時の時代性に沿わないといったほうが正しいのかも知れないが、同業者のA曰く、「発注者が開催する飲み会に参加しない奴は無礼者だ。」との事。特にコミュ障だと自覚しているわけではないが、業務の遂行と就業時間外のお付き合いは別物だと思っているし、また、それによって職場環境が差別的であってはならないことは、俺が約20年ほど前に社会に出て学んだことだった。そしてさらに驚くべき持論が同業者Aから放たれる。
 「君は君の会社を代表してこの機関で従事しているのだから、君くらいの年齢ならそういうことは備わっているべきだし、備わっていることが普通なのだ。」 ・・・だと。

 その驚愕の就業概念は、時代錯誤と井の中の蛙論を強烈に印象付けられた。今日日(きょうび)、まだこんなことを言う奴がいるのか・・・。
 そう言われた時は、当り障りなくそのままスルーした。そこまで凝り固まった脳をほぐす時間も恩も得もこっちにはない。そう思いたきゃ勝手にそう思ってろというのが自分の回答。
 ただ、そこで驚愕した理由をここで紹介するなら、まず、“会社を代表して従事している”論。
 確かに会社の看板を背負って出張ってきていることについては一定の理解はあるが、会社を代表して勤務しているわけじゃない。葉っぱをかけたり、鼓舞させたりする目的で会社の上層部が投げかけてきそうなセリフではあるが、俺自身が不適合者だったなら発注者側からそういう御達しがあってしかるべき。今のところ発注者からそういう改善命令は出ていない。
 次に“その歳ならそれくらいわかれ”論(笑。いやいやいや、俺の主観的観測から言えば、あなたが思う理念を脱却できていないことこそがあなたの経験値不足ですから。

 人それぞれが思う「常識判定」というのは、人それぞれで判定基準に少なからず誤差が生じる。それが今巷(チマタ)でよく聞く“多様性”という単語。
 自分たちが10代、20代の、今となってはまだまだクソガキだったころ、平成不況の真っ只中に投げ出されてピヨピヨ鳴いていた時期に諸先輩方から教わり、叩き上げられた数々の常識の約半分はすでに現代の常識とは一線を画すものとなっていることを認識していないといけない。郷に入れば郷に従うことが効力を発揮する局面は明らかに狭まっていることを“知らない”ことのほうが問題。
 自分たちがそう教わったんだから、後続の者達もそうあるべきなんだ論を唱える連中は、およそ次世代のことを考えていない。つまりは自世代さえ幸せだったなら、死んだあとの後世のことなんざ知ったこっちゃない論者なんだと思っている。
 その「後世」の中にはお前の子供や孫も含まれるんだぜ?

 そういう場面に遭遇すると、そういうアホへの怒りが決して「0」ではないが、自分がまだヒヨコさんだった頃、人がより多く集まる大都市で就業、生活できたことがかなり糧となったと思う。また、それを許し、後押ししてくれた両親や周りの人への感謝の念が圧倒的になる。

 父ちゃん、母ちゃん。あなた方のおかげで俺はあんな狭い男にならずに済みました。ありがとう☆