ショートカットできない時間
何にどのくらい、どのように時間をかけていきたいか。
この問に答えようとすると、自分が大切にしたいものが浮き出てくる。
とは言っても、有限な時間。
あちらもこちらも、時間が足りない。
なんとか時間をかけずに済む方法はないか、と模索する。
けれどそうして見つけたショートカットのための手段は、結局その場しのぎで終わる。
時間。
それは、代替品のないもの(少なくとも今のところ)。
・・・・・
わたしはこの前、魂柱をたおした。
魂柱というのは、弦楽器のパーツだ。
「たましいのはしら」というその名のとおり、魂柱がないと楽器は鳴らない。最悪のケースだと、楽器そのものが駄目になることすらある。
今回、わたしは自分のチェロの魂柱を横倒しにしてしまい、あわてて修理に出したのだった。
魂柱が倒れるのには、いくつかの条件がある。
楽器を落としてしまうなど、大きな衝撃を加えたとき。
急激な寒暖差、湿度の変化のもとに、楽器を晒してしまったとき。
そして、楽器を弾かない時期が、しばらく続いたとき。
嘘か真かわからないが、以前お世話になっていた楽器工房の人が、こんなことを言っていた。
「魂柱なんてめったに倒れないよ。魂の柱っていうくらいなんだから、かんたんに倒れたら困るでしょ」
いわく、良い音を正しく鳴らし続けていれば、楽器も正しく震えるのだという。
そしてその振動が、魂柱を本来の場所にとどめてくれるのだそうだ。
楽器を弾くというのは、ショートカットの効かない行為だ。
演奏をやめたら最後、魂の柱は徐々にずれていき、楽器全体にその影響を及ぼす。
もう一度弾こう。
そう思って楽器ケースを開いた頃には、弦はちぎれ、板はヒビが入り、指板はカビているかもしれない。
取り返しのつかないことになったとしても、時間は巻き戻せないし、そのときから慌てて時間をかけても、もう遅い。
わたしは、時間をかけるべきものに、時間をかけられているだろうか。
省略したり、なくしたりすることなく、1の時間を求められるものに、1以上の時間で応えられているだろうか。