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「暮らしを他者に共有すること」についての、ささやかな私見

先日知人から「いつからnoteを書き出したんですか」と尋ねられた。自分でもちょっとあまり覚えていなかったので久々に記事の一覧ページを見てみたら、最初の投稿は2019年の2月と書いてあった。

だけどnoteを始めたばかりの頃は、せいぜい月に1回更新するかしないかのペースだったと記憶している。じゃなきゃ、こんなに記憶が曖昧なわけがない。

当時の記憶すら朧げな時期のnoteたち

代わりに、noteを本格的に書き出した時期はよくよく覚えている。2020年の春のことだ。

かの「ステイホームの日々」に終わりが見えない時期、わたしはすっかりしおしおになって元気をなくしていた。家族以外の人間とは画面越しでしか話せない状況が、結構堪えていたのだと思う。

友人たちとZOOM飲みなるものをやったりもしたものの「直接会えないけど、それでも会話できないよりはマシですね」という妥協めいたトーンでなされるコミュニケーションがしっくりこなくて、数回参加した後は誘われても断るようになってしまった。

この時期に、コーヒーを淹れるのがとても上手になりました

会議や仕事の場ならまだいい。なぜ楽しいはずの友人たちとの飲み会で、「妥協」の二文字を頭に浮かべつつ空気の読み合いをしなくちゃならんのだ。

わたしには、話したいこと、他者とわかり合いたいことがたくさんあった。それらはコロナ禍に突入するずっと昔から自分の中に存在していて、常に外の世界に放流する必要があったのに、その経路を急に狭められてしまったような気分だった。

誰かが悪いのではない。強いて言えば、こうした形の飲み会しか認めてくれなかった未曾有の疫病が悪いのだ。でもわたしは「誰のことも責められないですね」と納得して内側に引っ込むほど物分かりの良い人間ではなかったし、話したいことを様子見なんかせず真っ直ぐ話せる場所を切に欲していた。

そうして六畳一間の自室で書き始めたのがnoteだ。話題はリモートワークで感じる侘しさや、誰もいない(=感染の心配が少ない)真夜中に近所を散歩した時間のこと、ステイホーム期間中の家族との暮らしなど、多岐に渡った。

毎日更新をしていた当時のnote

当時のnoteをたまに読み返すこともあるが、お世辞にも読みやすい文章とは言えない。今の自分じゃ絶対に書かないようなことが世の中に向けてオープンになっていることがあまりにも恥ずかしくて、非公開にした記事もある。

それでも、あの時のわたしにとって「noteを書く」という時間は必要なものだった。言いたいことを言い切る(書き切る)時間は、誰かと話していてふんわりとした空気のまま終わってしまう飲み会よりも、ずっと安心できるものだった。

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やがてnoteを書くうちに、他者の文章に触れることも増えてきた。互いの文章を読み合い、相手の発する言葉に惹かれて交流を始めたら、気づけば4年前には想像できなかった人たちと親密な関係を築くこともできた。

こうした人たちとも、ZOOM飲みと同様にやり取りの手段はオンラインであるのに、不思議と嫌な気持ちはしなかった。関係性の間に、奇妙な妥協の間合いが存在しなかったからだと思う。

コロナ禍の最中、刹那的な虚しさを満たしたくて始めた習慣が、数年越しでようやく求めていた役割を果たしてくれたというのは、なんだか滑稽だがさもありなんという感じがする。打てば響くように即時的な効果をもたらしてくれるものなんて、ほんの一握りなのだ。

SNSを通して仲が深まった友人と、喫茶店に行ったときの一枚

それでいて皮肉なのは、執筆における当初の目的(真っ直ぐなコミュニケーションをしたい)が達成されるのと反比例するかのように、オープンな場所で自己開示的な文章を書き続けることを躊躇うようになったことである。

コロナ禍の期間に端を発した「noteを書く」という行為は、つまるところ自分を語る行為でもあった。しかし、発話によって他者と繋がっている実感を持ちたいからnoteを始めたのであって、自分語りでの完結を是とする気持ちはハナから無かったのである。あくまでも自分について話すことは、他者との関係性を確かめる手段に過ぎなかった。

ところが今のわたしは、当時必要としていた繋がりをすっかり取り戻している。noteに「繋がりを得る」という役割を期待することは無くなった。なので今は、書いても書かなくてもいいような、つぶやき以上自分語り未満のことを綴っている。繋がりを切実に求めているわけではないのに、自分のことを開けっぴろげにし続けるのは虫の居処が悪いからだ。

昔は悲喜交々を垂れ流していたTwitterアカウントも、
今じゃこういう写真をそっと流すような場所になりました

それでいて「他者にありのままを話したい」という気持ちは、コロナ禍に突入するずっと前から、確かに存在している。まだ名前も顔も知らない不特定多数に話すことへの躊躇いが加わった、それだけのこと。

「ありのままの感情」とやらは、もはやSNSの類に放流するにはあまりに猛々しすぎる。とはいえ、今自分の身に起きていることについて何も言葉にしないと、心のパイプが詰まるような感じがして、うまく呼吸ができなくなる。

そんななか思い立ってつくったのが、LEBENという場所だった。

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LEBENというのはわたしと友人の二人で運営している、架空のシェアハウスのようなものだ。去年の6月にひっそりと立ち上げ、運営してきた。「ひっそり」が肝だ。ドカン!とか、バーン!とか、そうしたオノマトペが付随するものよりも安心できる気がする。

住人は、10人〜15人くらいで前後している。北は北海道から南は九州まで、さまざまな場所に(物理的に)住む人が、この架空のシェアハウスにも精神的な居を構えている。

あくまでも「架空」であるのを良いことに、住人の方の意見を取り入れつつ増改築を繰り返してきた。おかげで「キッチン」「寝室」「バルコニー」「オーディオルーム」など、ちょっとしたホームパーティーでも開けるんじゃないかという様相を呈しつつある。

ちなみに使っているのはslack。仕事で使うようなITツールなのに、
やたら硬度の低い言葉が飛び交う様相がおもしろい

わたしのお気に入りは、それぞれの暮らしにおける季節の風景だったりを投稿する部屋だ。近所で開催された花火大会の写真が流れてくるときもあれば、真冬の湖でアイスバブルを撮影した一枚が投稿されることもある。

一方、こうして住人同士で何かをシェアしあうだけでなく、程よく一人になるための空間も設けている。かくいう自分が「誰かの眼差しを感じつつ、しかし独り言のように言葉を紡ぎたい人間」だったので、ひとりの住人に対して一室ずつ、個室を割り当てさせてもらった。

その中だったらなんでも呟いていい、というと、みんなそこで胸中の思いを吐き出したり、タスクの整理をしたりするようになった。使い方は十人十色だ。

ちなみにわたしは毎日他の部屋と併せて個室を巡回していて、そこでの独り言以上・発信未満な言葉にたまに声をかけている。まるで個室のドア越しの会話のようだと思う。

巡回するなかで教えてもらった、アイスバブル。
かつて存在すら知らなかったが、今でも時折写真を探しては、その度一人で見入っている

「架空のシェアハウス」と銘打ったものの、ほどほどに「つながっている」という実感は持ちたい。なので毎月月末にA4一枚程度のコラムを、さりげないプレゼントと一緒に封筒に入れて送ることにした。

コラムの題材には、わたしがLEBENの住人を見つめていて「こういうことを共有し合いたい」と思ったものを選んでいる。「家族、ままならないもの」とか、「楽して生きたい」とか。

送る側も、この郵送の時期が近づくと「月末」と思うし、住人の人たちも、これが届くと「月末」と思うらしい。同じ時間を生きている、という実感をおぼえる。

かわいいペリカンのスタンプと共に送っています

こうしたやり取りを「不特定多数」ではなく「特定少数」のいる場所でおこなうとき、わたしは「生活を見つめている」という気持ちになる。

そして、本当はずっとこういう気持ちになりたかったんじゃないか、と考え込まずにはいられないのだ。2020年の春にnoteの画面と向き合っていたわたしも、なんならもっと昔の自分も。

多くの人と繋がることを通り過ぎて、さらにずっと先まで行ったところに、暮らしを営む喜びはあった。孤独を喧騒でかき消さず、自分の領域を守り抜き、それでいて他者の生活をそっと見やることで得られる喜びだった。

「一人でいたいが、誰かといたい」と思って生きてきた。それが叶う場所を作ることができたと思っている。月の流れや季節の移ろいを互いに伝え合う人がいて、その上でそれぞれが、自分のための暮らしに回帰できたなら一番いい。


▼LEBENが気になった方はこちらから▼


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佑梨
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