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ぼんやりと悪口
今に始まった事ではないが、部屋が散らかっている。
このあいだ観てきた松潤主演の演劇のフライヤーがテーブルの下に鎮座していると思えば、先月の壁掛けカレンダーが剥がされたままテーブルの隅で今にも落ちそうになっていたりもする。いい加減捨てろと思う。なのでカレンダーはこれを書いている今、ダストシュートしてきた。松潤のフライヤーはなんとなくもったいなくて、机の上に引き上げはしたがそのまま置いてある。ちなみにわたしは特に松潤ファンとかではない。単なる貧乏性だ。
ものを減らしてスッキリしたいとはずっと思っている。思ってはいるが、なかなか叶わない。少し前に母がわたしの家を見に来たとき「昔はそんなに散らかす子じゃなかったのにね」と嘆かれたが、それは貧乏学生だったので自分の自由意志でものを買うには限界があり、かつ実家ぐらしのため少しでも部屋を汚くしようものなら直ちに両親の教育的指導が入る環境だったからだ。
かたや、衣食住には困らないくらいのお財布事情と、誰からも部屋の荒れ具合を指摘されないユートピア、これらが合わさるとあっという間に部屋が樹海の如き様相を呈する。たまに思い立って掃除することもあるが、「ちょっと部屋がスッキリしたら仕事のやる気が出るかな〜」みたいな気楽さで片付けたところで、せいぜい綺麗さの寿命はもって一週間だ。10日後には、汚い部屋が不死鳥のごとく復活する。
綺麗にしてはまた汚れる、その繰り返しの日々を、一人暮らしを始めてからかれこれ10年甘受してきた。けれど最近は自分の汚部屋に終止符を打ちたい気持ちが強くなりつつある。この週末は珍しくなにも予定がないので、二日間かけて片付けを遂行し、それでもものが減らなかったらこんまりさんみたいな片付けのプロを召喚するつもりでいる。ちなみに今回の片付けに向けてゴミ袋は40リットルのものを10袋用意したし、予備日として翌日は在宅勤務にした。
こういう自分の意思決定を俯瞰して「ようやくここまで来た……」という感慨深さをおぼえずにはいられない。まだ片付けに着手すらしていないのにしみじみするなとも思うが、そもそも片付けに対して大胆な意思決定をするなんて、昔の自分からは想像もつかなかったのだった。
元来わたしは、自分に対して甘いところがある。勉強や仕事においてはシビアであることの反動かもしれない。多少(多少?)部屋が散らかっていても「最近仕事忙しかったし仕方ないですね」と言いつつ誤魔化してきた。けれどこの場合、甘々に優しくされているのは仕事で疲れたわたしの存在だけであって、豊かな気持ちで生活をしたい自分は脇に追いやられているのだ。
仕事する自分、暮らす自分、遊ぶ自分、全ての自分に対していい顔ができたらどれだけ良いだろうか。でもこれまでのやり方を踏襲するばかりだと、また暮らしの中の自分だけを蔑ろにして恨みを買うことになりかねない。そうなったら再び汚い部屋に逆戻りだ。再犯防止策が必要になってくる。
・・・・・
ところで最近のわたしは、家での独り言が増えた。はっきりと自覚している。「どうしようもねえな」「やんなっちゃうな」「ほんとくそ」など、かなり口が悪い。そのうえ主語が無いので、何に対してどうしようもなくやんなっちゃうと思っているのかも今ひとつ汲み取れない。かく言うわたしも何に対してぼやいているのか分かっていないまま、なんとなく口にしている。
実際、仕事の忙しさや部屋の散らかりなど、あらゆる問題は同時並行的に起こっており、それらが共存しているこの瞬間そのものに対してのぼやきなので、これ以上独り言の解像度は上げようがない。
数年前に両親が「若かった頃に比べて、思ったことをすぐに言うようになってしまった。加齢で理性がぼんやりしてきているのかもしれない」と嘆いていたが、そんなことならあなたたちの娘は齢三十手前にしてすでにその領域に片足を突っ込んでいる。でも、わたしは自分が品行方正さという名の寡黙な態度を少し遠くに追いやって「思ったら言う・やる」という選択を取れるようになったことを案外悪くないと思っている。
理屈っぽくて、ただしさと共にあることを美徳とするわたしも愛すべき存在だが、今の自分の腰の重たさを解消してくれるのは「思慮の浅さ」なんじゃないかという気がしてきた。部屋が散らかっていると思えば悪態をつき、仕事が終わらなかったらある程度のことを明日の自分に委ねて外に飲みに行く、そういう自分が少しずつ内側に育ってきている。
軽薄な自分として生きるということ自体が初めてなので、掃除も、仕事も、全てが新鮮なものになる。その結果まったく進捗が生まれないかもしれないし、逆にモーレツに捗るかもしれない。でも可能性はいつだって新しいもののなかに存在しているのだ。
何年もトライして都度挫折してきた部屋の片付け一つとっても、今のわたしにとっては「これまでやってこなかったこと」になりうる。二日間かけて家を綺麗にするなんて言われても憂鬱な気持ちは拭えない。ただ、なんとなく新しい。そんな予感だけがしている。
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