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出すもの出し切って、それから
オットに、誕生日を祝ってもらった。
いつもより贅沢なご飯は、贅沢であるということ以上に格別な味がした。
・・・・・
ここ最近は、とにかく「出すものを出し切る」ということに焦点を当てていた気がする。
ずっと嫌だと思っていたものを言葉にして出し、身体の中の老廃物を汗にして出し、表出できずにいた感情を涙にして出した。
気持ち良いほど、すっからかんになった。
「食べる」という行為は、「出す」行為の対局にあるものだ。
普段なにかを食べるとき、そんな位置関係を意識することなんてほとんどない。
けれど、出し切ったあとに食べたご飯の、なんと美味しいこと。
どうしても、いろんなものを取り込むことばかりで頭がいっぱいになってしまいがちだ。
けれども、出すもの出し切ったあとにこんなに良い思いをできるのならば、「入れる」と同じくらい「出す」をやっていきたい。
美味しいものだけで満たされたわたしは、身も心も幸せではちきれそうになっていた。
この感覚を忘れずにいようね、という話をオットとしながら、ふたりで手を繋いで歩いた。
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