初期衝動の、その先に。
3月末で退社する、という。
他の誰でもない、Tokyo 7th シスターズの総監督・プロデューサーの茂木伸太郎さんのことだ。
支配人は皆驚いたかもしれない。
もちろん僕だって驚いた。なぜなら、ナナシスというコンテンツは彼を中心に回っているものだと認識しており、その核とも言える人材を欠いて、コンテンツが続いていく未来をうまく想像できなかったからだ。
コロナ禍になって、いろいろな当たり前が崩れ去った。
行きたかったライブは軒並み延期され、自分の演奏機会も、即売会の出展機会もなくなった。唯一出られたのはこのナナシスの二次創作即売会くらいで、コミックマーケットに至ってはこの春もまた、開催延期となってしまった。
それは消費者側の感覚であり、提供側の感覚はもっと切羽詰まったものだっただろう。
見えるところ、見えないところで様々な歪みが生まれている。
そのころから、いやずっと前から、失礼ながら僕はこのナナシスというコンテンツがどのように終わりを迎えるのかを考えていた。
エピソードは6.0、最終章を無事に終えた。
そして劇場版も公開された。
キャストだっていつまでも続けられるわけではないことは、すでに知っている。
半ば強制的に立ち止まることになった今、今後についてどうするかの話し合いが持たれたであろうことは想像に難くない。
前置きが長くなってしまった。
ともかく、茂木さんのメッセージをゆっくりと読んだとき、そこから「やりきった」という気持ちがしみじみと伝わってきた。
その気持ちは7周年だから去来したようなものではないだろう。
大きな山をいくつも登るようなコンテンツの展開のどこかで、気持ちの変化はあったに違いない。
人が何かを創り上げるとき、そこには情熱がある。
そしてその情熱は、どうしようもなく自分を突き動かす"初期衝動"としてやってくる。
今回はナナシスのリリースから今まで、茂木さんがどのような心境で1年1年を迎えたのかを公式Twitterのメッセージを通して読み、コンテンツを生み出す初期衝動と、その行く末について勝手に考えてみる。
リリース
最初にナナシスが世間に公表されたのは2013年12月10日。
このプレスリリースからだ。
この時点で1年4か月の制作期間を経ていることが示されており、ご丁寧に1.5億円を投入していることまで書いてある。
若く新しい才能によって描かれる魅力的なキャラクターたち。
女の子一人一人との出会いと成長を丁寧に描いたストーリー。
ボカロ世代の若手アーティストたちによって制作されたオリジナル楽曲をプレイできるリズムゲーム。
アイドルコンテンツが氾濫する現代に一石を投じるべく、新世代の才能により制作された本作は、多彩なメディアミックスコンテンツを目指すプロジェクトの第一弾です。
最後にしっかり第一弾と書いてあるが、ついぞ7年の時を経て第二弾は世に出ていない。
アイドルコンテンツはこの状況が逆風と言わざるを得ず、しばらくは旧来のスタイルでのコンテンツは生まれないのではないだろうかとすら思える。
ここで「多彩なメディアミックスコンテンツ」と記載があるが、これについても一般的に想定されたものとは全く異なる展開を行っていくことになる。
ハジマリノヒノスコシマエ ver 8.12
少し寄り道をする。
2014年。公式同人誌「ハジマリノヒノスコシマエ ver 8.12」の巻末メッセージにおいて、茂木さんは以下のように記している。
「拙く未成熟で輝かしいものの一瞬を切り取りたい」という欲求がどうしても抑えられなくて、ナナシスを企画:原作しました。
これは初期衝動そのものだ。
ナナシスはこの初期衝動で、「涙を隠しながら、誰かを応援する物語」として走り出した。
1周年
2014年2月にサービスを開始したナナシス。
その1年後の2015年に届けられたメッセージだ。
茂木さんはこの少し前、ハジマリノヒノスコシマエを出した際に初めて公式アカウントにメッセージを寄せている。これが2回目の登場のようだ。
この時期から本当に多忙だったのだろう。
コンテンツとしてはまだ1stライブも行っておらず、マチアソビやコミケといったファンとの距離が近いイベントが続いたが、水面下ではVer 2.0の準備の大詰めともいえる時期。
まだまだ走り出したタイミング。着々と準備を進めていたのだろう。
Project-7th Ver 2.0
Project-7th Ver 2.0への移行メッセージは、その1か月後、2015年の3月19日に発表されたものだ。
1stアルバム、そして1stライブの開催も同時に告知され、加速していく時期。
茂木さんのメッセージにも「御期待下さい」の文字と共に多くの想いが刻まれている。SAKURAと「ナミダ」・・・
2周年
2016年、2周年を迎えたナナシスは2ndアルバム、2ndライブを発表する。
プロジェクトの構想からはもう3年半ほど、普通なら一息つきたくなるところだろう。
しかし茂木さんは「伝えたいことは音を変え、言葉を変え、色を変え、しかし当時から何も変わってないのだなと感じました。」と記し、情熱がまだまだ途切れておらず、それどころか大きくなっていることを感じさせる。
実際2ndライブのころは支配人たちの熱量も初期衝動のように燃え上がっていた。僕の周りが衝動的な二次創作書いたり漁るように読んでたりガチャ全部回してたのもこの時期だよね。
3周年
3周年の直前には2.5LIVEが大阪で開催され、今考えるとあれは地理的にもライブとしての立ち位置的にも特殊なものだったなと思う。
一方で正統派ナンバリングライブである3rdライブ。あの3公演は春風のように心を通り過ぎていった。
メッセージを読むと、言葉の端がナナシスの歌詞をリンクしているのが感じられる。ナナシスも一歩ずつ今日を歩いているんだな…とエモくなったのを思いだす。まだまだ、道半ばだ。
4周年
4周年はなんといっても武道館の発表だった。このメッセージからはEP3.0を締めくくった達成感と、武道館に向けての決意が感じられる。
自身の経歴、これまでの言動からも確実に特別な場所として意識していたであろうステージ。
ここが一つのターニングポイントだった。
実際、武道館ライブは人生で一番楽しかったライブのひとつだな…
5周年
5周年はEP4.0、AXiSとのストーリーを発表したタイミングだ。
このメッセージはこれまでと少し雰囲気が異なっているように思われる。
それを感じさせたのは終盤にある「あとはやるべきことやる」というワード。
がむしゃらにやってきたスタートダッシュから3rdライブ、武道館、4thライブを迎えて一度落ち着き(落ち着いてなさそう)、ここからはこのコンテンツをいかにして終わりに導くか、ということを考えているのではないかと思った。
EP4.0がナナシスの物語にとって「転」と書かれているのもその予感を加速させた一因だ。
転の後には結しかない。
※とか考えてたらこの数日後にこれだったわけですが・・・
この話は前回書いたので割愛!
6周年
6周年はまだコロナが本格化する少し前のことだった。
「7年目」をわざわざ括っているのは、やはりナナシスにとって7という数字が特別であることを示しているんだろう。
今思えばこのEP6.0、劇場版、そしてこの後発表される次回ライブが最後の仕事、というつもりで臨んでいたのだとも思える。
SOLのエピソードで先に未来を描いてしまう、という大胆な方策を取ったあと、ナナシスがどのように向かっていくのかとても不思議だったが、奇をてらわずにまっすぐと終わりを描いてくれた。
7周年
改めて、冒頭のメッセージだ。
「虹の向こうの未来(あした)なんていいですね。」
またいつか、どこかで。
初期衝動のその先に
ひとりの初期衝動から始まったナナシスは、7年を経て力強いコンテンツに成長した。
ー初期衝動はいつか消える。
茂木さんが最後のメッセージで「やり切った」と記載しているように、彼の中では終わりを迎えたのだろう。
しかし、彼の情熱が作品を通して数多くの人の背中を押したことを僕は知っている。このコンテンツが続いていく限り、その情熱は受け継がれていくのだろう。
茂木監督最後の仕事のひとつ、劇場版を見た。
そもそもこの映画のおかげで、コロナ禍で中々会うことができなかった友人たちと久々に会うことができてうれしかったし、何よりみんなナナシスをずっと好きでいてくれたことが本当に良かった。
そして、1時間とちょっとの間に、初期衝動が詰め込まれていた。
「ねぇ、キミは何がしたい?」は、心に秘めたその情熱に気づかせてくれる魔法なんだ。
胸が熱くなった。
おわりに
この記事は #ナナシスAC のDay6の記事です。
2019年は僕が企画してましたが、今回は一大くんにお声かけ頂きました。
以下自分語りです。
初めは声をかけられて快諾したものの、今の自分にナナシスについて何が書けるのか全く分かりませんでした。コロナ禍においていわゆるコンテンツへの情熱が失われていくことを身にしみて感じており、それは一番好きと言えるナナシスにおいても同様だったからです。実際に手を動かすまでにいくつもの案が浮かんでは消え、この瞬間も書いては消しを繰り返しています。
それとはまた別に、ここ1,2年でインターネットを通して自分の想いや主張を公開することがとても怖くなりました。
言葉は便利ですが、想いは言葉を通すとまるでプリズムを通した光のように様々な色に分かれ、その一部分だけが相手に届いてしまいます。
もしその色を一つ一つ説明して正しいものを伝えようとしたとしても、そんな冗長なものを誰も読んでくれないでしょう。
初めはこの文章では、ナナシスの生前葬をしようと思っていました。茂木さんを神格化しているわけではないですが、どうしようもない気持ちをぶつけて生まれたものを、その当人がやり切ったと言ったとき、それが生き残っていていいのかという疑問からの案です。もちろん、これは自主制作ではなくてあくまでビジネスなので、IPとして成長したナナシスをD社としても簡単に畳むわけにはいかないのは重々承知しています。それでも、大人の都合で生き死にを強要される他のコンテンツを見るにつけて、どうしてもナナシスはそうなってほしくないというワガママがありました。
まだ、その気持ちは残っています。次のライブでもってナナシスはきれいさっぱり終了。Project-7th第二弾で新しいものを作っていく。そうなればまあ形としては綺麗なのですが、やはりリスクの方が大きいんでしょうね。
それでも、これからも新たな体制で進んでいくナナシスを応援したいな、とふんわり感じているのはきっと、この記事を書いているうちに自分が受け取ったものや、他の参加者が受け取ったものを感じているからだと思います。
今日はとても暖かい1日でした。あの3rdライブの日もこれくらい暖かくて、どうにも過ごしやすかった日だなと覚えています。逆に2ndは暑すぎたし、2.5は寒すぎましたね。武道館の日も青々と晴れていたのを思い出します。ナナシスを楽しんでいたはずなのに、覚えているのは天気とか、友人の昼食とか、打ち上げ会場に誰がいたとか、本当にどうでもいいことばかりで、ライブの感想は自分で掘り出さないと見つかりません。それもまた、良いことなのではないでしょうか。
今年はもっと素敵な夏になるように祈りながら、今日は筆を置きたいと思います。
ありがとうございました。