怒ることって難しいって話。
俺は怒ることがとにかく苦手だ。
大学生でヤレヤレ系主人公っぽいモブを演じていた経験から、この世の全てはたいてい取るに足らないことであることをどこかで悟ったのだ。
あと、ヤレヤレ系主人公なので、基本的に全ての人間を見下しているので、他人にあまり期待しない、というスタンスが骨身にしみているのだ。
さらに言えば、他人を見下しつつ、自分を矮小なミジンコ的なものに見立てる心をも得ている。まさに完璧超人と言えよう。
怒るのが苦手、というか怒る理由がないのだ。
そもそも怒りというものはなぜ生まれるのかと言えば、「自分を正しい」という思いがあるがゆえに発生するものだと俺は考える。
自分が正しいのに、その正しいことが行われていない。
これが怒りの正体なのではないだろうか。
つまり、喧嘩というのは正しさと正しさのぶつかり合いである。
それゆえ、どちらかが妥協しなければ終わらず、疲れ切って一度鎮火したとしても、正しさが踏みにじられたという思いは消えていないので、どこかでわだかまりを残す。
戦争は正義と正義のぶつかり合いとはよくいったものであるが、日常的に行われている喧嘩だって、やはり正義と正義のぶつかり合いなのだ。
後腐れなく喧嘩を収束しようとするならば、最終的には武力衝突をする他ないのである。
ディベートで解決する怒りなど、その程度のものである。
本気の正義のぶつかり合いは血を流さなければ終わらないのである。
怒りとはげに恐ろしきものである。
その点、俺は怒らない。
そもそも主張すべき自分の正義がないのだ。
だってモブであり、ミジンコだから。
そもそも他人の正義に興味はないのだ。
他人とはわかりあえるものではないと思い、期待をしていないから。
きっとわかってくれる、なんて絵空事である。
ミジンコや塵芥のような精神性を持ってしまえば、怒ることはとにかく難しい。たとえ理不尽に合わされようがある程度のものはグイッと飲み込んでしまえるようになる。
ね、とっても心穏やかでしょう?
みんなも獲得しよう、ミジンコの心。
ただし、この精神性にはひとつ大きな問題がある。
常に大きな正義のもとに搾取されることになるのである。
自分の動きで解決するのであれば、そうしてしまえ、ということなかれ主義により、精神的というよりは業務負荷的なリアルな負荷がかかってしまうのだ。
だが、これすらもどうにかできるのがミジンコである。
そのときは対応して、次第にフェードアウトしてしまうのだ。
これの繰り返し。
だって、ミジンコだし、ずっと覚えてられないもんね。
ほら、これで怒らない。怒れない。
ミジンコバンザイ。
モブバンザイ。
あ、ちなみに仕事の場合はそもそも怒ること自体がNGだと思ってる。
あれは利と理で話すべきことだからね。
仕事はミジンコ禁止。