音楽とお笑い
僕がこよなく愛する二つのジャンルにはいくつか共通点が存在するなと感じた。(※以下「お笑い」とは約20世紀からなる寄席での落語、萬歳、近年でのテレビ、劇場寄席での漫才、コント、ラジオ、etcを示すものとする。)
まず、お笑いには音楽は不可欠であるとはっきりと言える。
会場に入った時のBGM、OP、出囃子、コントで使われる楽曲、SEなど。M-1グランプリでの出囃子はその大会を想起させる顕著な例ではないだろうか。
役割としては、間繋ぎ、お客さんと芸人さんのムード作り、曲から得られるフィーリングの共有(ガキ使でのデデー、〇〇アウト!)など。
早いところ、視覚と聴覚使えばイメージ広がるよねって話。当たり前だけど。
密接な関係にある二つは時代の流れによって媒体のあり方を変化させないといけない時代がとっくに来ていて現役バリバリの表現者達は今もなお頭を悩ませている。
音楽で言えばCDが売れない。サブスクリプションへ。
お笑いで言えばテレビ離れ。ネットとのつながりへ。
何年も前から言われ続けて来ていて今に始まったことではないがレコードからCDに遷移したように、テレビが民衆の娯楽としてキラキラした時代を馳せていたようにどっしりしていないしなんか中途半端だよねと思う。
まあ斬新さが金を回らせる産業だし早い者勝ちで少しづつ形成されていくと思うんだけど。
僕が悩んでいるのは、お笑いを愛している。なんとか携わって食っていきたい。幸せになりたいと思っている中でもっと発展させていけるのか、すげー!ってさせたい。どこに力を入れれば良い。何を学べば良い。金が欲しい。
テレビは終わりなのか。明石家さんま、ダウンタウンとんねるずはずっとはいない。引退したらどうなるんだ。第七世代に任せられるのか?!あまりにレジェンドに頼りすぎた。お笑い会は未知の領域に足を踏み込もうとしている。そこに台頭してくる、youtuberらの存在。「お笑い?そんなのあったねー」と言う時代が来るのか?!分からない。
音楽家、川谷絵音はゲスの極み乙女。の新アルバムをCDではなく歌詞カードとバームクーヘンで発売した。サブスクで聞いてください。歌詞読みながら。バームクーヘン食いながら。
山口一郎はCDをファンクラブ限定で販売した。わざわざCDを求めるファンを愛と呼びグッズとした。
ある程度見える道を進みながら、対応していくしかない。現在の伝染病もそうだ。つくづくお笑いも音楽も貧乏人の文化だと思う。空虚な日常に刺激をアイデアを、面白いを。進み続けろ〜表現者!
何だよこのノート。
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