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『羊をめぐる冒険』の“先生”をめぐる考察

久しぶりに読んだら主人公が29歳でびっくりした。若いなおい。若いのに随分老成している。

終戦の日、戦没者を悼むと共に日本の加害・被害に目を向け「2度と戦争を起こさないこと」を誓う日だと思っているが、なぜかその思いを再軍備に向けたり歴史修正に向けたりする人がおり、しかもここ数年は増えているように思えてならない。

我々は、岸信介という人物をしっかり分析したほうが良いのではないかと思う。戦前・戦後の長きに渡って、この人物が日本に及ぼした影響はあまりにも大きい。大戦に突っ走ったこと、徴兵により戦地で命を落とした理由の大半が餓死であったこと、そして言うまでもなく今に至る自民党と統一教会との関係。あまりにも根深く、頭を抱えるほどである。“2度と繰り返さない”ために正確な検証が必要だが、果たして可能なのだろうか。

さてここで『羊をめぐる冒険』(1983)である。村上春樹氏は1949年生まれなので、氏が34歳ごろの作品だ。なぜ久しぶりに読んだかといえば、作中に登場する“先生”が岸信介に思えてならなかったからだ。満州に渡っている点、戦犯でありながら中国とのネットワークを取引に処刑を免れている点、戦後の日本社会への網の拡げかた…少なくともモチーフにはなっているだろうと思う。

作中で“先生”は“羊”と精神的に”交霊“し、それまで凡庸な右翼活動家だったものが一変して強大なカリスマ性を発揮するようになる。背中に星の印がついた”羊“が望んだものは何だったのだろう。“先生”から離れた“羊”は次の宿主を鼠に定め取り憑いた。“先生”の右腕だった秘書は、“先生”が亡くなった後も組織を維持するためにその“羊”の力を欲した。それを拒んだ鼠は、ある選択をする。

「俺は俺の弱さが好きなんだよ。(中略)君と飲むビールや…」と、暗闇の中で鼠は言う。“羊”は人間の弱さや矛盾を好み、人を支配するという。森で会った“羊男”は徴兵を嫌ってこの森に逃げ込んできたと話す。直近の戦争は随分前に終わっているとも知らずに。

“羊“とは、全体主義的な思想のことなのだろうか。あるいは、それこそ人間の悩みをまるっと解決するかのように見せる宗教のことなのだろうか。いずれにせよ、氏がいつぞやのスピーチで使った「壁と卵」の例えで言うなら、壁側の何かのことだろうと思う。そこには個人の愛や、優しさや、ましてや悲しみさえもない。万能と全能なんて、あり得るはずがないのに。

初版発行から40年が過ぎ、当時の空気感は遠くなっている。戦後に生まれ、しかしその後の時代を若者として生きた村上氏が、この本に何を込めたのか。明確な答えはきっとないのだと思う(私の感じる限り、氏はそういう書き方をしない)。私でさえ初めて読んでから20年が経過して、ようやくこの可能性に思い至った程度だ。でも優れた物語は経年劣化しないし、重層的なメッセージを読者にもたらす。続編的立ち位置の『ダンス・ダンス・ダンス』まで改めて読んでみようと思う。

お読みいただきありがとうございました。今日が良い日でありますように。