もの思う秋〜climb every mountain〜
人に連れられて、山に登ってきた。登山レベルで言うと中の下か下の上くらい、日帰りなので登山マスターの方からしたら「庭で草刈り」くらいの(この例えが適切なのか分からないが)ものだったらしい。だが私は登山などしたことがない。いま早くも筋肉痛で太腿が震えているし、何なら滑って転んだ際に打った腰がちょっとでも動くたびズキズキ痛んでいる。
それでもいい経験だったと感じている。1日2000歩あるいているかも怪しい生活を送る身からすれば、標高1500m越えの世界に足を踏み入れるのは仰天動地の体験であった。ちなみにその日の最終歩数は25000歩だった。
わかりますか?こんな「道無き道」を登ったか降りたかしたんですよ。歩くというより、多くはよじ登ったりずり降りたりしていた。そんな動き、普通のサラリーマンには縁がない。ましてやこの半年リモートワークをしていた人間からすれば、もうなんかほぼ「頭真っ白」であった。「高ければ高い壁の方が 登ったとき気持ちいいもんだ」とミスチルが歌っていたが、「まぁそうかもしれないけど限度があるよね」と思ったりしていた。なんせ初心者なので。
でも真っ白になった頭で感じたことがあった。
①人は体を動かしたほうがいい。できれば自然の中で。人間1人がコントロールできるものなんて、自分の体しかないと実感する。
②とても無理だと思うルートでも、必ず踏み出せるステップがある。頂上を仰ぎ見て圧倒されるならば、まず目の前の一歩を確実に積み重ねよう。
③声を掛け合うパートナーの大切さ。ひとりだったら絶対気持ちが折れる道でも、笑って喋って励まし合っていればいつか通り過ぎている。
山をよじ登りながら、ずり降りながら、何度も転びそうになった。というか実際何度か転んだ。完全に息は上がり、小さな木の根にもつまずき、フラッと遠のきそうになる意識の中で足下の握り拳大の石を目にし、「あぁこの程度の石でも、いま転んで頭をぶつけたら普通に死ぬな」と思った。死なないまでも、大怪我はするだろう。自分の体しかコントロールできないと書いたが、コンディション次第ではそれさえ全くままならなくなる。毎日なんとなく生きてきたが、安全に一歩一歩進むだけで大変な作業なのだ、本当は。
2020年は多くの人にとって苦難の1年だったと思う。前例がないという不安、終わりが見えない苦しみ。毎月のお給料が保証された単身サラリーマンである私も、正直しんどかった。気候も変だった。一番良い季節には自粛を命じられ、梅雨は長く、夏は暑かった。残暑も厳しかった。「もう終わりにしたい。終わっても良いかな」と思った瞬間もあった。しかし辛うじて踏みとどまった。踏みとどまらせたものが何だったのかは分からない。ただ少し、好きなもの・好きな人たちへの執着や未練だったのかなとは思う。
何かを簡単に結論づけたいわけではない。多くの物事は、分かった気になった瞬間に足下掬われる。でももうすぐ今年も終わる。あと3ヶ月を切った。もう少し、もう少し頑張ろう。「登り坂・下り坂・まさか」の繰り返しが人生だったとしても。
来年はきっと素晴らしいことがあると、素晴らしいものを手に入れると念じて。おしまい