『音楽』というのは不思議なもので
子どもの頃に聴いた曲
辛い、苦しいときに聴いた曲
みんなで歌った曲
音楽は人の心を揺さぶる。
リラックスもさせてくれる。
泣かせてもくれるし、やる気にさせてくれたりもする。
そして『あの時のあの記憶』が蘇ってきたりもする。
また懐かしんで感情が揺さぶられるんだ。
最近、おかあさんといっしょの懐かしい歌を歌った。
たくさんある好きな歌のうちの2曲。
『あのね、あきはね』はちょっと季節遅れになってしまったけれど。
そして『まんまるスマイル』は作詞作曲が中西圭三さんで、たった2分ちょっとの中に、たくさんのものが詰め込まれていて大好き。
歌詞はもちろん、リズムや音、メロディ、何もかもがツボで。
子ども向けでもあるけれど、大人向けでもある。
歌うことでずっと悩んでた。
「なにやってるんだろうな、わたしは」って。
声だったり表現だったり、言葉を丁寧に歌うだったり、何一ついいところがないのに、
歌って、発表して、シェアして。
何か一つでも良いところがあれば。。。
練習する時間がもっとあれば。。。
そういうのがあったからと言って、何かが変わるわけでもなく。
「こうだったらこうなれるのに。」なんて期待すらさせてもらえない。
なのに、どうしてわたしは歌ってるんだろう。
多分、理由なんてなくて、
頭の中で描くこと、
それをかたちにする、
それを発表する。
歌も絵も文章も、この行程がわたしにとってワンセットになってるだけなんだと思う。
気持ちが暗くなってしまったときは、おかあさんといっしょの歌を歌うんだ。
子どもの頃は確かに感じていたはずの感覚。
大人になると忘れてしまうことも多いけれど、子どもの頃のままの、線がない世界を思い出すように。
そして、なんの取り柄もないわたしだから、せめて教えていただいたことで、できることを。
できることは少なくて、それすらもまだまだ足りないのだけど。
やりたい!と言ったゴールはもう叶わないけど。
そうやって歌っていると、顔の筋肉すごく疲れて、「あ、使えてるのかな」って思えたり、
こういう歌を歌うと、歩くときちゃんと重心移動して、前に出した足に重心を乗せられてる感じがしたり。
もちろん心も上向きになる。
落ち込んだときは、少し無理してでも口角上げて、目を開いてみるといい。
あと眉間にシワは寄せない!
歌うこと、声を出すことは、心とからだを整えてくれるセルフヒーリングのようなもので。
傲慢すぎる欲、期待なんか捨てて、ただひたすらそれだけでいいと思うくらいだ。
しばらくは、おかあさんといっしょの好きな歌を歌うかもしれない。
それにしても歌のおにいさんとおねえさんの歌唱力もすごいんだけど、ずっとあの笑顔をキープしてるのもすごい。
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わたしが子どもの頃から、おかあさんといっしょは見ていて、
実は『うたのおねえさん』に高校時代は憧れていた。
だから割と長いこと、おかあさんといっしょは観ていた。
子どもの頃は、エレクトーンを弾くおねえさんがよくて。
わたしが子どもの頃は、エレクトーンの生演奏だったのだけど、今はどうなんだろう?
上の子がちょうどEテレにお世話になる年齢だった頃のおにいさんとおねえさんは、
今井ゆうぞうさんと、はいだしょうこさん。
このふたりは、なんだか歴代のおにいさん、おねえさんとは、ちょっと違う感じがした。
なので、もちろんわたしもファンだった。
仕事の関係で「収録にお子さんと一緒にいらしてください」とお誘いいただいたときは、すごく嬉しかったけど、絶賛引きこもり中で外に出られず。
未だに思い出しては後悔する。
今井ゆうぞうさんが亡くなって、何年になるだろう。
『別離したあと、一番最初に忘れてしまうのは声だ』という話を聞いた。
確かにそうかもしれない。
肌で感じた感覚も、薄くなっていく気がする。
ゆうぞうおにいさんの生の声はもう聴くことができない。
映像は残っていても、時間はそこで止まっていて、
今の声が聴けないのは、やっぱりさみしい。
どこかで活躍していてほしい人だった。
舞台も見に行きたかった。
人との別れがいつも寂しいのは、声を忘れてしまうこと。
肌の感覚が消えていってしまうこと。
そうやって記憶から少しずつ薄くなっていくこと。
…なのかもしれない。
だから逢いたい人がいるなら、
大切な人がいるなら、
逢えるときにたくさん逢いに行くのがいい。
『別れ』は必ず来るから。