見出し画像

色におぼれたい

色はいろんな色があって、同じ色を作るのは難しい。

色はなんとなく、わたしの頭の中と少し似ている気がする。


一定ではない、決まりのない『ゆらぎ』が色にはあるようで。


自然の色から作られる自然の絵の具やインクが好きで、トップ画のクルミも実はこれ、絵の具で。

自然のものが、わたしは好きだ。

動物や人、いのち、生と死、宇宙。
子どもの頃からずっと、不思議な感覚でいっぱいで。

いろんなことがグラデーションになっていて。

だから考えても答えの出ないものがたくさんで、妄想も膨らんでしまう。


絵を描くとき、わたしは細かくて細い線の描き込みが好きなのだけど。

線も不思議な存在で、
絵では敢えて『描く』けれど、実際『線』というのは、引かれるものではなく、現れるものというか、そう見えるものというか。

グラデーションに線は引けないし、色と色の境界が線に見えるだけのような。

線がどんなに細くても、拡大していけば太くなって、まるで面だし。

だから、絵で線を描くのは、輪郭、境界を分ける、動かなくなってしまいそうで、時々少しだけ怖いときがある。


落ち着きのない動き、ゆらぎは安心する。
わたしはそんな落ち着きのない色におぼれたい。

グラデーションが好きだし、色と色の交わりが好き。
境界があるようでないような世界。

絵もなんとなくどこか数学的で宇宙的な感じがする。
(数学は苦手だけれど・笑)


わたしたちの世界も同じで、線はあるようでない、線に見えているだけ。

人のからだにもモノにも、線は描かれていなくて、
そんなことを考えていたら、もしかしたらユーレイみたいに、わたしのからだは壁をすり抜けたりできるんじゃないか、なんて思ってしまう。

物理的に無理なのはわかっていても。


だから境界なんてなくて、過去も今も未来も、この世とあの世も境界がなくて、すり抜けることができる。
混ざり合うこともできる。

手繰り寄せることもできるから、
一瞬みえたような何かを、
思惑や計画があるわけでもなく、わたしの意志すらもなく、ただそれを絵にするだけのような。

だから時々、亡くなった方からのイメージだったり、未来のあの人からのメッセージだったりを描くことがあるのかもしれない。

それは意図して描くものではなく、時々そういう感想をもらう。
そのときはつながらなくても、あとからつながることが起こったりするらしい。

こういう感覚は絵だけではなくて、会話でもよくある。
話を聴くというのは、話の内容が重要なのではないから。

だけど気をつけないと、話を先読みしすぎてしまう。

それであまり好かれなくないものから好かれてしまったり。


意図せず、『知ってるよアピール』のようになってしまうこともある。


こういうことがあると、何年も前の悩みにタイムリープしてしまう。

まるで同じネタで漫才をしているように。

もうウケないネタをいつまで擦るんだと、頭の中で誰かに叱られる。


かくされた悪を注意深くこばむこと。

谷川俊太郎『生きる』より

これは、わたしは特に気をつけないといけないと思っているけれど。

それでもわたしは、警戒ばかりするよりも、最初から少しだけでいいから、心を開いておきたい。


コミュニケーションはキャッチボールで、相手の受け取りやすいようにボールを投げる。

それも大事なことだけど、
たとえ強く投げられたとしても、わたしは心を乱すことなく、丁寧に、
相手が受け取りやすいようにボールを投げ返すんだ。


本当に警戒すべき相手は、多分わたしの中の誰かが教えてくれる。

それは過去経験したものに限られるけれど、
わたしはその直感に素直に従うべきなんだ。


先日、といっても、もうだいぶ前だけど、
「わたしのなりたいものの言語化をしてもらって嬉しい」と言ってくださった方がいた。

わたしはまだ、こういうことができたんだ…
もうできなくなっていたと思っていたけど。

それがなんだか、くすぐったくて、ほんのりフワッとあたたかくて。


過去、先生から
「書き換えは得意なんだから」
「たくさんの人を救える力があるんだから」
と言われても反発していたけれど。

今は少しだけ、その言葉を信じてみたい。
その言葉と、そして自分自身を。

何かを発信することや、教示すること、というよりも、作品を生み出す、伝える方がいい。

何かを教えるのは、必要な人に必要なとき、必要な言葉で。

だからわたしは絵を描くし、言葉を紡ぐし。


気功をやっていれば、
やっていなくても、
みえる人にはみえるし、わかる人にはわかるけど。

わたしはあまりそこにこだわりたくなくて。

割とどうでもよくて。

「なんだろうね?」くらいがちょうどいい。

いろんな視点から説明できる方がいい。


『みえる自慢』にはなりたくないと思う。


もちろん、わたしのように、最初からみえる、わかる人もいるけれど、(って、ちょっと自慢)
それはあとからでも身につけることはできるし、重要なのはそこではない。

もちろん、みえる、わかるも大切ではあるけれど、大事なのは深さだったり、ファクトがあるかどうかだったり。

目先の憧れのようなものに没頭してしまうと、闇に堕ちやすい、そんな気がする。

いいなと思ったら応援しよう!

HACHI
チップで応援していただけると励みになります!感想と一緒にシェアしていただけたら喜びます(⑉• •⑉)♡