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未知の世界というロマン
絶望、怒り、傷から生まれる創作のエネルギー。
『表現はゆらぎの反動』
という言葉を見かけたけれど、本当にそうなんだと思う。
幸せの押し付けもエゴで、絶望や怒り、傷がない、いわゆる負やネガティブがなくなってしまうと創作できなくなる。
そういう意味で、『ただキレイなだけ』というものに、わたしはあまり惹かれない。
キレイだなとは思うけれど。
創作ができる、だから傷つくこともできる。
というのも、ある意味で『自己信頼』なのかもしれない。自傷ではなくて。
それを知っていてやるのと、知らないでやるのとでは本当に全然違うもので。
無意識を意識に上げることはすごく大事だ。
アーティストやアーティスト気質な人と、そうではない人というのは、良し悪しとかではなくて全く住んでいる世界が違うのかもしれないと最近思う。
わたしが、いつも居心地良く感じるのは、アーティストな人たちと一緒にいるとき。
そこから1歩外に出ると、理解されない、感覚的なことが通じない、孤独で孤立、孤独を楽しめなくて帰りたくなる。
尊重すらされない。
舐められる、下に見られるようなこともある。
わたしはどうやったって、アーティストでアーティスト気質なのかもしれない。
だから、時々人の態度を見ていると、『わたしのことがわからなくて怖いのかもしれない』と思うときがある。
知らないもの、わからないもの、理解できないものは、みんな怖い。
それは動物的な本能だけど、見渡せば知らないこと、わからないこと、理解できないものであふれてる。
なんにでも意味を見出そうとするのも、怖いからなのかもしれない。
無意識を意識に上げる。
自分が今なにを触っているのか。
皮膚なのか骨なのか、筋肉なのか、異質なものなのか。
「本当に?合ってる?」
骨だと思っているそれは、本当に骨?
骨だと思っていたそれは、骨ではなかった。
他にも似たようなところ、なかったかなと探してみる。
質感や温度はどんなふうに感じる?
自分が今なにをどう感じているのか。
そんなふうに考えながら触るのが好きだ。
目に見えるものだけだと、世界は狭い。
見えないものまで見ようとすると、わからないことばかりで広い世界が広がる。
すべてを拾いきれるとは思えないし、理解できるとも到底思えない。
だから、わたしは遅くて時間がかかるのだけど。
それでも、わかったフリをしないこと。
わからないものはわからないでよくて、
やればやるほど、わからないことだらけだ。
言葉では言い表わせないことがたくさんある。
だからどうしても「深く理解した」という言葉にモヤモヤしてしまう。
からだだけでもまだまだ未知でロマンにあふれているのに。
本当に宇宙そのもの。
美しいものを見ておけ。
深い心の痛みどころか、自分のことさえ忘れてしまうような美しいものに出会っておきなさい。
芸術でも自然でもかまわないから、一瞬でいいから美しいものを見ておきなさい。
この人生には必ず悲哀がある。悲惨もある。
それらは雨のようにやって来ては去りゆくだろう。
しかし、きみが目にした美しいものはきみの中でずっとずっと続いて消えないのだから。
自分のことさえ忘れてしまうような美しさ。
エゴもなにもない透明な自分になれるような美しさ。
そういうものに出逢ったとき、本当になにもいらないというか、言葉にできない、しなくていいもの。
思考すら忘れて時間すら忘れて呼吸すら忘れて。
みんなが憧れるようなキラキラとした美しさや、
アメリカンドリームとかシンデレラドリームとか言われるようなものには、あまり興味がなくて。
何気ないものの中にも、息をのむような美しさがあるのを、わたしは見逃したくない。
いろいろな世界へ行ってみたいと思う。
だけど世界で活躍したいとかではなくて、いろんな景色を見て、いろんな人と出逢って、何かを感じたいから行きたい。
『未知の世界』というのは、ロマンに溢れているなぁと思う。
未知だから、とても美しいと感じる。
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